24日夕方のテレビニュース、安倍首相が病院から痛恨の「お詫びメッセージ」の挨拶をしていた。
その姿に誰もが「痛々しい」と思ったに違いない。これはシナリオなき劇的ドラマである、そう感じた。
また、ある報道では安倍首相回顧を「モーゼ」となぞらえた。そのことが、そなんに難しい退陣劇か、と思ったがモーゼを名を借りておけば安倍氏も救われる。
「安倍さんは一種のモーセたらんとした」。文芸評論家の新保祐司さんには、安倍首相が旧約聖書に描かれた指導者の姿と重なってみえたという。(堀晃和) 「安倍さんは、『出(しゅつ)エジプト』をやろうとしたんですよ」 。 新保さんは「安倍さん個人の事情や政局ばかりが大きく報じられ、一国の首相に対して敬意を払わない報道が目につきます。だから、あえて精神史的にモーセという補助線を引いてこの問題を考えてみたい」と前置きして、安倍政権発足から辞任表明までの一連の流れを、そう評した。 旧約聖書の「出エジプト記」。紀元前13世紀ごろ、モーセは大国エジプトの圧政に苦しむイスラエル人たちを約束の地「カナン」へと導く。隷属的な状況から抜けだし、真の自立を求めるという物語である。この内容と安倍首相の目指したことが二重写しに見えるというのだ。
そう評価したのは評論家新保祐司氏だった。
歴史的題材を用いて足跡をなぞるのはよくある手だが、はたして本人がそう思っていたのか否か。
散々メディアに叩かれて、いじめられて病院から懺悔ではモーゼどころではない。満身創痍の身を呈しての「お詫びメッセージ」は前代未聞の党発足以来ではないのか。
そうしたことが派手なパフォーマンスで世間の喝采を満遍なく頂戴した前総理よりも特別印象的である。
このドラマは、誰もが描き得なかったシナリオで、また、このドラマこそが日本人のもっとも好きな展開なのである。
「美しい国」とは、古来より風景ではなく人間ドラマを描いてきたのである。