2006-05-25

駑馬十駕

グーグルの創業者ラリー・ページ、セルゲイ・ブリン
の両氏は1973年生まれの33歳。
グーグルのシステム構築に大きく貢献したジム・リースはハーバード大学生物学科卒、エール大学医学部を納め、神経外科医の肩書きをもつ。歌手ギタリストでCDも出すほど、ほとんど「天才」といって良いほどの才能を持ち合わせている。グーグル創業当時に18人目の社員としてラリー、セルゲイの両氏を支えた。
現代のPCインターネット時代を創るのに多大な役割を果たしたビル・ゲイツ氏は1955年生まれで51歳。比較の対象になるかどうか疑問だが日本のITベンチャー産業に足跡を残した(?)「堀江」氏は 33歳でグーグル創業者両氏と同年である。
何れにしても若き創業者たちによってIT産業が牽引されている。業界のそんなシーンにいるビル・ゲイツ氏は世界の富豪の一人として、まさに帝王というべきか。
ジャンルは異なるがプロゴルフ界の立役者ジャック・二クラス氏が現役時代、ゴルフ界の帝王として君臨していた。が、老齢は避けられず、その桧舞台を若手に譲って随分時間が経つ。世代交代は必然的にやってくるものである。

Googleの全貌を理解する、とは私がこのサイトでブログを書くにあたり、宣言したことだがGoogleというアメリカのIT企業を懇切丁寧に教えてくれたのが
「web進化論」(ちくま新書)の著者「梅田望夫」氏である。といっても面識があるわけでもなく、私は単なる一読者の立場でしかない。本の内容を読み進み、アナログ的には理解しているものの、実際にサイト内に潜入して「AdSenseの使い方」となると自分でマウスを触らないと判らないのがPCである。そんな意味で駑馬十駕(どばじゅうが)、一日十里の超微速だか努力すれば天才
ジム・リース氏に肉薄する、という。(殆ど無理か?)

(クーグルに関する情報すべては「web進化論」による。今後もその情報は
梅田氏の筆に依存することを、この場で言明しておく)

2006-05-22

ダ・ヴィンチ・コード・?Ⅹファイル?の結末

今朝、仕事に出かける前にこのブログをチェックしていたところ、雲散霧消したはずの隠れ⒳ファイルが「粗大ゴミ」の中からヒョッコリ出てきました。いま書いている原稿が「ダ・ヴィンチ・コード」でしたから何かのタタリか?と恐怖におののいていましたがタタリでも何でもありません。単なる私の操作ミスでした。侮っていたのは自分自身で、お騒がせいたしました。平身低頭お詫び申し上げます。
それにしてもパソコンの操作方とは複雑(簡単安易)怪奇と、思うことしきりです。その原因をまず最初に言っておきましょう。
「投稿を編集」で、その表示欄ボタンがあり、数・内容・実行ボタンが3つ並んでいます。問題は真ん中の、すべて・下書き・現状、の3タイプの選択があって、「すべて」を表示していれば何も問題はなかったのです。ところがこの表示が「現状」になっていた。ただ、それだけの話しです。その結果、下書きしたはずのファイルが表示されず、本文訂正した訂正文が公開されない、という異常事態を引き起こしたのです。おまけに本文左脇のダイジェスト欄に、どうした訳か自分のプロフィール欄に書いたコメントが表示されています。そんなこと、どうやったら編集できるのでしょうか、不思議です。そうした経緯を一切知らず何かの陰謀かと早合点して、あらぬことをとりとめもなく書き綴りました。
それがⅩファイルです。いま判っている範囲で、その内容を記述しますと、5月20日「ダ・…、毀誉褒貶」3タイプ、5月21日「ダ・…、3」同様1、5月21日「ダ・…、ファイルミステリー」となっていますが、これは今朝22日の早朝に入力したものです。が、日付が21日になっている。これ、もしかしてアメリカ時間ではないでしょうね。今書いている原稿は紛れも無く22日付、ですから間違いなく22日の午前5時30分頃のデータと記憶しております。仕事の就業時間を気にしながら書いていましたから間違いない筈です。しかし、それらはⅩファイル化してますから過去に入力した情報が、その日付に摩り替わった、ことも考えられます。それを追跡調査したところで何にもなりませんが、未だにそのメカニズムが理解できませんし最大の関心事はプロフィール紹介文が記事と同様に公開されていることです。それが公開されて私が困ることは全然ありませんで、むしろ大っぴらにしてくれたほうが都合がよい内容です。その内容とはGoogle社が現在進めているハズの自動翻訳システムが早く完成して英語が出来ない私の手足になって貰いたい、といったような話しです。
それで、きよう、仕事をしている間にⅩファイルと自動翻訳機のことを考えていたのです。
自動翻訳システムは誰もが期待し待ち望んでいるコンテンツで、これが完成したら「世界の人々は皆兄弟」になるでしょう。異なる言語が国家を形成してきた歴史が、これまで人類の歴史ですから、それを一気に塗り替えるために必要な大変革の道具です。それが完成したら一揆や革命どころの騒ぎではない。コペルニクス的な大変革が起きるでしょう。
それで英語の出来ない私が、その翻訳機の変換作業を少しばかり考えてみました。例えば、ごく日常的な会話を想定し、「妻はGolfに行った」、という日本語を他国語にどう変換するかを思ったのです。
妻、は、ゴルフに行った、の場合、深い訳を含まない単なる行動を指します。しかし、妻とゴルフに行った、となるとただ事ではない。それは毎週か、毎月かそれとも一年に一回か、どんな理由があって「妻」とゴルフにいったのか、などイマジネーションの組み合わせが幾通りも考えられます。さらに、妻がゴルフに行った、となると尋常ではない。相手は誰か、家の者は知っているのか、初めてゴルフに行ったのか、お金はあるのか、仕事を休んでまでゴルフをするものか、有給を使ったのかそれとも代休なのか、自分のクラブはあるのか借り物か、ラウンド幾つで回れるのか、練習は積んでいたのか、などと数千通りのバージョンが考えられます。それをかりに日本語から英語翻訳、その反対、そしてそれ以外の世界の言語を「妻、が、ゴルフに行った」翻訳をするのですから大変な作業です。おそらの世界各国のエキスパートを集めて円卓会議的に作業処理するのでしょうから、つばぜり合いの応酬は必至です。そこに一寸でも宗教的内容が入ると怪しげな雰囲気が漂うことが想像されます。そんなことを考えただけでも、既に頓挫です。それに手を着けたGoogleはやはり先覚的です。頓挫せず是非とも完遂させて頂きたいと願うばかりです。  なお、この原稿を送信した後にⅩファイル編集処理をしますが、正しく編集出来るかどうか未定です。その際トラブル要因の一つである画像挿入はいたしません。
訂正、プロフィール欄の紹介は自動的に表示されるようです。今回初めて記入して気づきました

2006-05-21

ダ・ヴィンチ・コード と毀誉褒貶


映画「ダ・ヴィンチ・コード」について延々と書いて、毀誉褒貶の理由をさらに書き綴って文を結んだ、積もりで下書き保存し、再度本文訂正して「投稿を公開」クッリクしたのですが、訂正されていない。

可笑しいな、と思いつつ「クッキー」を頼って「投稿を復活」してみたが音沙汰がない。これまでの失敗経験から画像を先に入力してから文を書き込んだのが間違いの元だったようです。容量オーバーと、myPCの監禁状態がたたってパンクしたようです。それで書いた内容の本文などコピーしてませんから、初めからやり直し、ということになりますが、今更同じような内容を書けませんし、思い出せない。そうした経験は誰もが体験していることでしょう。これが仕事上で金銭がらみだったら大変なことです。それは実際あった話で証券会社の入力ミスで億単位の金が吹き飛んだことは既にご承知でしょう。下手をすると命と引き換えの賠償金額が待っているのです。

いや、そんなことを羅列して言い訳をいっている場合ではありません。ブログを書く、ということはそれが対価の無い行為だとしても一種のサービス精神ですから言い訳無用です。本当に期待させてしまって申し訳ありません。時を待って「ダ・ヴィンチ・コード」について書きたいと思います。なお、画像だけは覚えておりますので同じものを入れておきます。

ダ・ヴィンチ・コード と毀誉褒貶


映画「ダ・ヴィンチ・コード」が全世界で注目の的になっているようです。上映される前からストーリー内容が宗教的問題として話題となり宣伝効果に拍車をかけているようです。したたかな商業主義と穿った見方はいけないのでしょうか?
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の原作は小説のようですが、作家ダン・ブラウンは40歳新進気鋭の作家だそうですが以前は教師をしていたらしい。そうした情報はインターネット上に満載で、とくに映像ダイジェストが効果的のようです。映画産業に手を染めた日本の電気メーカーS社が、ネットと同時進行でこの映画をプロデュースして、映画産業の新しい方向性を探っているようにも見えます。これと同じ手法でジェラシックパークがありましたが、そのような戦略はハリウッド的のようです。
かなり前の話ですが、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」が世界的ベストセラーになったことを覚えている方も多いでしょう。いま出版界でハンコックの名前を聞いたことがありません。とかく大衆とは飽きっぽいし、売り手側は商売にならないとサッと引き揚げます。そして次の話題作が世を席捲する。この繰り返しです。なにしろ今は時間のサイクルが早い。時の刻みは宇宙創生ビッグバンより普遍ですが、概念で生きている人間世界は、時が延びたり縮んだりします。大きな塊がある同じ方向に向かって動いている。グローバルという名の下に世界の目がある基準値?を発信元として、世界全体が同時進行している様子がパソコンのインターネットを通して垣間見えます。
「ダ・ヴィンチ・コード」がよい例で、全世界の人間が同じ映画をほぼ同じ時間帯に観るのです。その内容は、絵画に隠された暗号がキーポイントになっていますが、それが宗教界でも問題となっているようです。隠された暗号とは、今更新しいものではなく歴史的にもコード化された暗号をつくった作者はいくらでもいます。前出、ニュートンの「秘密の箱」の中に秘められた錬金術原稿など挙げられます。17世紀頃、近代科学の夜明け時代、先取権を確保するのに科学上の暗号が考案されました。今の著作権保護のハシリでしょうか。
近代天体観測の第一人者ガリレオが考案した暗号をケプラーが解読したという映画より面白い実話が歴史上に残っております。
ガリレオの作った暗号、14種類37文字で作られ、これを並べ替え組み合わせで構成した。その時代、ともに天体運行に興味を持っていたケプラーはガリレオが作った暗号解読に取り掛かった。その結果、「ガリレオが火星に2個の衛星を発見した」、と誤訳したのです。これがどうして誤訳かという、話が面白い(じっさい火星には衛星が2個)。その当時の観測では火星に衛星は存在しないと思われていたからです。またガリレオは土星に衛星3個と観測していたが、それは星ではなく環であったのですが、本人手作り望遠鏡ではそれが確認できなかった。
コペルニクス以来の地動説、「天体の回転について」から今日まで飛躍的な天体観測結果が得られていますが、過去の歴史から学ぶべきものは多いのです。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」にまつわる諸説が世界中に渦巻いていますが、17世紀当時のガリレオとケプラーの応酬も毀誉褒貶(きよほうへん)があったことでしょう。褒めたりすかしたり、おとしいれたり壊したりと、だいたい批判的な態度になることが多いようです。それでも大真面目で過激な批判行動が余計に注目され、それが商業的に宣伝効果をもたらす、という昨今の社会事情は普通なのか、それとも異質な事態なのか判定が難しい。
今朝のことですが、海に出かけて日の出を観てきました。天体の運行とは関係なしに。千葉の外房に住んでいますから太平洋の海がパノラマで広がっています。水平線上にはなにも無く、そこに太陽が昇る景色は何度観ても飽きることがない。早速デジカメに納めてパソコンに入れました。上記の写真がソレです。そんなことが出来るなんてガリレオもニュートンもケプラーも、そしてダヴィンチも知らない。だが、彼らの傑出した才能がなかったなら今のデジカメ・パソコンは存在しない。
2006年というリアルタイム、パソコンの窓を覗いていると世界中の出来事が瞬時にして見ることが出来ます。今の世の中、殆どと云っていいくらい社会を観察するのにパソコンで用が足ります。それに没頭していると脳内の神経回路が活性し、それらが概念上の出来事バーチャル世界に移行しているような錯覚をおぼえ、太平洋に昇る太陽でさえWINDOW世界のフレームに納められていると、脳思考が勝手に判断しはじめているような気がいたします。これはすでに「サイエンス・フェクション」です。
これ、杞憂でしようか。??