2006-05-19
彫虫篆刻、(ちょうちゅうてんこく) 彫虫とは虫の形に刻むこと、篆刻は篆書体文字を象牙など印体に彫り込み印影を作ることですが、文字内容としては体裁を繕うことを云うようです。美辞麗句と同義語思えばいいでしょう。私は篆刻も彫りますが、ある日伐採した倒木杉の表皮下におかしな文様を発見して、それをよくよく観察すると、それは虫食い痕でした。そのスタイルが真に篆書そのもので古代の人間は虫から文字のヒントを得たのだ、と感慨を抱いたものです。
その篆書は古代中国の文化遺産でおそらく2000年以上の歴史があるでしょう。では何故それを現在の日本人が使っているのかという問題意識は、私がいましている雅楽演奏と根底で繋がっています。前ブログで書いたように奈良時代の遣唐使によって「唐の国」から持ち帰った、当時としては先進文化であったのです。古代中国の、その先進文化を約1300年間も堅持し継承してきた日本国は保守という意味では世界に例をみないでしょう。そうした先人の文化文明を尊び保護してきたのが天皇制です。初代天皇は神武と云われてますが、これは神話世界で、そのことを記紀は明確に記しています。西暦672年に天皇として天武が即位しておりますが、このときより「天皇」と称したようです。
世界の古代遺跡に共通することは、当時の君主であった強大な権力者は皆一様に贅沢な墳墓を造らせています。古代日本も同様で、きらびやかな副葬品が墳墓から発掘されることがあります。
ここに載せた上記写真は「ヒラカ」といって古代古墳に埋葬する品の一つでした。祭祀に用いた品を埋葬者が黄泉の国でも使えるようにと、一緒に埋葬したと考えられています。これは古墳時代に作られた「焼き物」で酒の器のようです。その時代が古いため「焼き物」の原点が濃縮して詰められています。表面の施しが釉薬ではなく、窯の中で舞い上がった灰が釉となって独特の雰囲気を醸しております。これは紛れも無く第一級のアート作品です。それをパソコンのネットに公開できることが現代社会を象徴しているような気がいたします。
photo: ヒラカ 推定約1600年前
2006-05-18
私のホームページにGoogleのロゴを勝手に貼り付けました。そのロゴを使用するにあたり、色々な使用条件が表示されていましたが、それを読んで理解するのも煩わしいので提供ロゴタイプを選んで試しに貼り付けてみたところ簡単に出来たので、リンク欄にグルーグル広告の意味も含めて暫らく公開していました。ある時(きょう18日のこと)、クーグルより送信があって、ロゴ使用にあたり承諾を許可しておりません、という通知が届きました。
やはり、と内心思ったのですが知的財産権保護の厳しいアメリカのことですから当然といえば当然です。そこいらの感覚ギャップの差があるのは確かでしょう。そのリアクションを貰ってから客観的に考えてみたのですが、私の個人的なホームページにGoogleロゴを添付し公開することによって、まったく事情を知らない第三者は私のページがGoogleによって提供されている、と思われる可能性もあります。そうなると私の書いた記事内容如何では責任問題がGoogleにも波及することだって考えられるわけです。
早速、Google ロゴを削除しました。
インターネットのバーチャル世界は架空現実社会の出来事である、というこれまでの歴史上に存在しなかった空間ですが、その裏側でPCを操作しているのは生身の人間です。そして、この架空世界がいま一人歩きして将来の世界経済を担う救世主になると注目されています。その覇者となるべく最先端企業がGoogleであると洞察力のある人間は評価しているようです。その将来的価値がどれくらい高いのか私は知る由もありません。
photo: 納曽利 面の模写
インターネット上には色々なタイプのフリーソフトが出回っておりますが、中でもOSメーカーが提供する「体験版」は高価なソフトを期間限定で使うことができます。私も何度か使って重宝しましたが30日間限定というのがミソです。一番多いのがphotoソフトですが、日本の新聞・テレビと同じで各社レイアウトの違いはありますが中味は殆ど同じといって良いでしょう。
あるとき、大メーカーのphotoソフト「お試し版30日限定」を使ってました。使い始めは不慣れで思うように作動しませんが、次第に勝手が判るとソフトの良さが判ってきます。その頃になると期間終了の日数が迫ってきます。自分で撮った写真の背景処理をソフトを使って余計な部分を消して思い通りの写真が出来ました。コレは凄いソフトだ、と二つ目の写真を同じように編集しようとしたところ「期限切れ」で、その肝心の編集が出来なくなりました。期間終了で総てのOSが消えたのではなく、どうでもいい新聞テレビ的なバージョンは残っていましたが、どうでもいいありきたりのソフトですから、どうでもいいのです。ここで30日期間限定の有用性が発揮されるのです。「どうですか、うちのソフトは他とは違います。何だったらお金を出して買ってみては?」という企業戦略がミエミエです。ですから戦略に引っかからないように買いません。
多くのユーザーがそうであるようにパソコン内ネットで遊んでいることは趣味であって、そこから利益を得られません。従って高価なソフトを買うだけのメリットはないのです。だからフリーソフトの家捜しが始まるのです。それから或る事を考えましたがソフト信託というのが考えられないでしょうかね。海賊版ではなくて正規のルートで高額ソフトを何人かで分割購入し共有して使う。かりに10万円のソフトだったら10人で一人1万円、100人だったら1000円で済みます。そんなシステムがどこかにないものでしょうか。
換骨奪胎、期間限定無料体験ソフトを使ってそんなことを思いました。カンコツダッタイとは、骨を換え、胎を奪って、それに成り済ますことのようですが、どうもこの語源は古代中国戦乱中から出たように思われます。胎を奪うとは敵対する血族の芽を完全に摘むことですから凄惨です。それは余り関係ない話しですが、無料限定ソフトを使い出来上がった写真やイラスト作品は保存して自分の手元に残りますが、それを処理した「機械」は手元にない。言い換えると魂だけがフワフワ浮いている状態で本体のカラダは消滅している。
「一体、この状態をどうしてくれるんだい」とOSメーカーに問い合わせても、「当社製品は信頼をもってご提供させて頂いております」、と丁重な挨拶で交わされるのがオチ、か?
2006-05-16
「米国で働きたい人にとってグリーンカード取得は素晴らしい幸運である。でも日本の大学を卒業して日本でしか仕事経験のない28歳が抽選でグリーンカードを取得して渡米すれば、ある意味、徒手空拳の就職活動が待っている。就職時にグリーンカードを持っていることは、ビザをスポンサーしてもらう場合よりは条件がうんといいが、それ以上でも以下でもなく、とても厳しいことが待っているはずだ」。
徒手空拳・一言でいえば「裸一貫」、財産も頼るべきコネも何も持たない若僧が現実社会に向かってゼロから創めること、を云っている言葉で、上記引用例では、28歳の男性がグリーンカードを携えアメリカで仕事をしたい、というようなケースを梅田氏が相談を受けたそうである。(web進化論、終章脱エスタブリッシュメントへの旅立ち)
梅田氏はいま、日本の若者をシリコンバレーに移住させようと「シリコンバレー移住計画」をNPOで立ち上げ20年計画で完成させる、という構想を練っている。その「大いなる空想」を実現するために確かな一歩を進み始めた。いま梅田氏46歳、20年間で66歳である。何もしてくれない日本のエスタブリッシュメントに対する隔靴掻痒感を、この構想で一気に打破しようとする気構えだ。そうした中で徒手空拳に晒される若者を「私」がバックアップしようと梅田氏、乾坤一擲(けんこんいってき)の行動に出た。
私がこれを読んだとき、フッと思ったのは奈良時代の遣唐使を彷彿とさせた。
遣唐使は朝廷(元正天皇)肝いりの国家プロジェクトである。その時代の先端文化・技術をもつ「唐」から学ぶという国家計画である。そして、それから1300年経過した近代日本の文化は何か、と問えば、その時代に唐から導入した文化・技術が今でも生きている。
私の体験談から具体例を挙げれば「雅楽」がそれだ。私は今でも雅楽演奏者として現役だが、この歴史は唐時代の遺産文化である。当時の遣唐使の一人、なかでも右大臣吉備真備は「政・まつりごと」に欠かせなかった式典奉奏
の雅楽に関する文献を持ち帰っている。
その時代と現代社会の形態は、まるで異なるが先端技術を他国に学ぶ、というのは今でも同じである、という実態を梅田氏が見せてくれた。その内容とは、アメリカ、シリコンバレーの持てる先端知識を、奈良時代当時の「若僧」であった吉備真備と同じ若年年代層に吸収させるというプロジェクトである。
本来これらの仕事は国家サイドでしなければならない計画だが、エスタブリッシュメントに業をにやした梅田氏は、一人船出したのである。そのこと、こそが日本人たらしめる大きなfactorではないか、と雅楽演奏者は思うのである。
2006-05-14
隔靴掻痒(かっかそうよう)、履いた靴の上から痒い足を掻くなんてことは出来ませんから、痒いところに手が届かない欲求不満を現した言葉です。自我の強いタイプは、そうした不満を常日頃抱くようで私などは、その筆頭ですからこの言葉を良く使います。「Web進化論」の中にも使われているので紹介しましょう。
「ネットの世界に住まない人々に最先端の話をするために要するエネルギーは回を追うごとに増すばかりなのに、議論してもそこから何かが生まれる感じがしなくなった。隔靴掻痒の感はどんどん大きくなっている」。
著者、梅田氏がエスタブリッシュメント層に対して抱いている「募る思い」を、そのような表現で「アアなんとかならないものかなあ」と嘆いている様子が、その四字でこちら側の読者に伝わってくるから、やはり漢字の威力というか説得力は凄いですね。
しかし、ですね本を読む、書籍が店頭に並ぶというのは、その活字を読んで理解するというのが大前提ですから最低限の約束事、読み書きが出来るという識字率の問題でもあります。こんなことを云うと「何を血迷ったか」と批判されそうですが、日本は世界有数の識字率を誇ります。それ即ち歴史的な学校教育の結果でもありますが、ほぼ100%近い国民が字を読めるというのは個人の持つ表現力が豊かであることです。
もっとも具体的な例がパソコン・インターネットで、まず字を読んでその内容を理解しないことには、まったく前に進みません。これはアナログ的な直接会話の電話交信とは次元が異なります。そんなことでも識字率が高いということはIT産業の市場パイが他に比べて断然有利な条件を備えていることなにります。梅田氏が期待する若い世代の台頭が、そこに見える気がします。
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