2006-07-28

1億円、歌川広重












Posted by Picasaphoto:歌川広重 甲州御獄道 千葉市美術館提供・千葉日報

広重の写生帳がアメリカで80年ぶりに発見されたと千葉日報で7月27日報道されている。 千葉市美術館で9月に初公開、という案内で日本絵画研究者、そしてマニアにとっては垂涎の企画となる。
江戸後期の浮世絵師本名「安藤」は歌川豊広に師事し、その師匠を超えて後世に名を残した浮世絵師である。

広重(1797-1858)の作風は江戸時代を代表する作家として知らないものはいないが、その功績はむしろ海外で評価され、印象派ゴッホに多大な影響を与えた、という逸話は余りにも有名な話しである。広重作による「名所江戸百景」が2002年ロンドンのオークションで1億円で落札されている。
日本の現代美術アートティスト村上隆の作品が同じく1億円の値がついて話題となったが、絵画嗜好のジャンル別からすれば、まったく別世界であるが金銭換算だけに限定すれば欲しいと思ったクライアントの欲求事情であり、主観的判断に1億円という値段を付けるのに誰も文句はつけられない。
江戸時代の絵師には優れたアーティストが沢山いるが、絵描きの基本である写生を誰よりも多く描いた作者ほど比例して知名度も高い。
私が所有している「北斎漫画」(岩崎美術社)には北斎のスケッチ数万点が載っており、目にしたもの全部をスケッチしたのではないかと思わせる観察力である。
いまデジタル社会でパソコンで殆どの対象が表現可能である。私もつい最近イラスト用のタブレットを買ってパソコンでイラストを描いているが、自分が描くというよりその90パーセントが機械の恩恵に載っている。とてもじゃないが、北斎のスケッチ一枚を描くに至らない。はたして、そんなものに頼っていていいのだろうか、これがオリジナル作品なのだろうか、という疑心暗鬼はいつも抱いているが、それが時代なのだという理屈をつけて納得させている。これから後、百年経過して私の絵があるところから発見されて、デジタル絵画の名作(そんなことが起こるわけはない)発見ということにでもなったら、その時代背景のインフラを分析するだろうか。広重、北斎の時代の生活習慣を我々はまったく知らない。

2006-07-27

シルクロードの遺産

 アフガニスタン中部バーミヤンでペルシャ神話の霊獣「シームルグ」と推定される絵柄を確認したと、文化財研究所より25日に発表された。
霊獣絵柄が発見されたのはアフガン旧政権タリバンが破壊した東西大仏立像跡の間にある石窟内だった。
天井の一部を区切る、縦約6センチ、横約45センチの梁の中央部に描かれてあった。鳥のような鋭いくちばしに獅子のような胴体、翼があり、牛と向き合っている図のようだ。
新聞にはその白黒写真が載っているが肉眼では識別不能だ。説明によると、
中央のペルシャ神話の霊獣「シームルグ」、その右側にはガンダーラ風の唐草模様、左側には牛が描かれてると説明している。
重要なペルシャ神話の霊獣シームルグが読み取れないのが残念だが、唐草模様はシルクロードより伝わる古来より普遍的な図柄であり、また牛は地中海
沿岸に広がる古代文明の神格化された象徴的シンボルとして、ギリシア神話にも登場する。そのことでも判るように、小アジアよりシルクロード経由で広範囲に情報が伝播されたことが判る。
東西文明融合の証として、霊獣シームルグは貴重な文化遺産である。

2006-07-26

カソウ・ショウテン・ガイ


Posted by Picasaphoto:1200年祭logoマーク

仮想商店街、とはネット上でのバーチャル商取引を云うが、カソウショウテン街と表記されると月の上で売買取引をしているようで落ち着かない。
ポータルサイト、アマゾンが月の上で商売を始める、と新聞トップ見出しで紹介された。今更トップにするほどのことでもないと思うが。
簡単に云えば、すでに楽天、ヤフーがやっていた商圏に殴り込みをかけるという単純な構図である。アマゾン参入によって物品ネット取引が激化する、ということでIT産業にとっては活性化のために是非必要な競争である。中抜きネットと称されるくらいで介入業者不在のため単価が安く設定されるメリットがある。
私がいま個人で進めている仮想商店街はグーグルが提供するアドワーズであり、アドセンス広告に載せて小規模でもネット取引が可能なコンセプトとして注目した。アマゾンの展開する商売は数千億単位の商いを目的として現経済圏に流通する商品販売をターゲットとしているのは間違いない。私が提案しているのは、その正反対で「必要なものはすべてある生活」の中に、なにを求めるか、そこにナニを提供できるか、と云うテーゼである。もともと私はモノを販売する商人ではない。一介の会社員であり月々の安いサラリーで慎ましく暮らす人間だ。たまたまグーグルのアドワーズを知り、そのポリシーに賛同して乾坤一擲、というか個人の意思を反映して既存経済圏に物申す、という意味で思いついた。
その一方で問屋制度を核とした商取引に依存していた商人は死活問題である。遅かれ早かれ問屋は死滅する運命にあり、「ダイエー」がそのことを証明している。
私の住む人口1万人弱の街で、この7月15日に雑貨大型店がオープンした。ダイエー駅前戦略とは異なり、タンボ田園風景の中に忽然と現れた。それで休日ともなれば人口の半分が集まったのではないかと思われる程の盛況である。都会のデパート縮小版といった内容でお客のニーズ総てを満足させるという品揃えで無いものがない。私の住む近在の隣M市には飽和状態の大型店が乱立している。これは日本全国に展開している単なる一風景である。
当然のように旧来商店街は閑古鳥、シャッター通りが荒涼と広がる。そんな日本の現状経済界の中でアマゾンが開店するという。もはや閑古鳥の命はゼロに等しい。
そうした中で、私のマチでは古来より続く祭が9月13日に1200年祭として行われる。写真は、それに使われるロゴとも云うべき「手拭」のイメージで私がデザインした。祭りの形態とは地元の商店主がスポンサーとなって祭りに掛かる費用を負担して成立していた。それ以前では国、さらに遡って国領主の大名が費用一切を賄っていた。明治維新でその全部がご破算となり、地元の商い人が負担していたが、肝心の地元商店主が瀕死状態で祭を運営する費用賄いが不在となっている。かかる経費充当主がいなければ「祭り」は死滅する。メディアでは断片的に日本の祭を報道しているが、いずれ早いうちに日本から祭は足元から消えてなくなるだろう。

2006-07-23

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産業革命以来の時代遅れ…

14世紀から16世紀に起こったイタリアルネサンス、そして近代の幕開け産業革命から今日のインターネット時代情報革命まで数百年経ったが、その間、総てを記録するというアナログ行為は現在でも引き継がれている。パソコンのキーボードが文字を打ち込んだとしても、手書き文字が消失したわけではない。むしろ、パソコンを使ってワザワザ手書き風文字を作り、それが異彩を放つ、というほど今は活字体に覆い尽くされている。古代メソポタミアの楔文字は食料生産リスト、またそれら取引を記録した文字であり、今の簿記の役目を果たしていた。だから人間は約3000年の間に渡って記録し続けていたことになる。パピルスの発明は記録改ざん防止のために考えられた、という説もあり古来より記録証拠を都合によって改ざんしたようだ。最近日本でも先端IT企業が帳簿改ざんで罪を負った。よく数字のマジックと表現するが実態と数字は別物で、厳密に現金勘定してみれば合わないはずのバランスシートは、何故か一円の狂いも無くピタリと合っている。決算報告書を読んで作った方も、見せられたほうも、それで納得してしまうから数字とは恐ろしい。たとえそれが1億円だろうが10億円だろうが金額が多くなるほど実態と合わないことは誰でも知っているが、パソコンで綺麗に清書された決算報告にケチをつけるものはいない。たとえそれが株主総会であっても動議発言するのは数字合わせではなく、幹部グレーゾーンの道義的問題を追及するのが一般的だ。
スーパーコンピュータの計算速度が驚異的スピードでアップしている時代に、肝心の統計数字が当てにならない、という現実問題がアメリカで浮上している。そう指摘しているのが社会学未来学者のアルビン・トフラーだった。「知識は瞬時に世界中に配信できる」とはインターネットのことを云っているようだが、そのビジュアルに捉えることの出来ない生産物を測定また換算することがきわめて難しいと指摘する。直接表現すればマイクロソフトのWindowsでありGoogleの検索エンジンである。それに関する定義や、合意もなされていないと氏は苦慮する。帳簿を記録するという古典的手法はメソポタミア時代より行われているが、知識知恵を帳簿上に数字として書き込むことが出来ないという未知の時代がやってきたと、トフラー氏は杞憂してゆっくり安眠できないでいる。