2006-09-22

国旗掲揚と国歌斉唱について

これまで隔靴掻痒として、その課題に触れたくない日本人的問題を裁判所が法律的な見解を示した。判決結果を先に云えば東京都の敗訴。
東京地裁難波孝一裁判長の下した判決、
「通達や都教委の指導は思想良心の自由を保障した憲法に違反する」、
と判決を言い渡した。
その解釈により起立、国歌斉唱の義務はない、処分も出来ないと判決を下した。
社会的見解、また感情論でいうなら肯定派否定派が拮抗する。
それは2003年10月23日に東京都が都教職員に対して発布した通達に起因する。相手は国家的思想に反発する日教組。
素朴な疑問、何故だ? 何のための叛旗なのか、その理由が理解できない。難波孝一裁判長の朗読によれば、「日の丸や君が代について、明治時代から終戦まで皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ国旗、国歌と規定された現在でも、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」、と判断している。
この「中立的立場」とは、なにを、何処を基準にしているのか私には判らない。日本の歴史が確立して約1500年経過して、その時間内で「中立的」を判断するなら僅か一時の明治と軍国主義がどの程度のパーセントを占めるのか甚だ疑問だ。
この問題は、都の教職員を処分したことの裁定についての問題に限定されることなく、日本国民に対する国家意識の忠誠意識に触れる重要な案件にもかかわらず、東京地裁の判決は余りにも偏っていたと云わざるを得ない。その一方で、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要で式典に国旗を揚げ国歌を斉唱させることは有意義、と生徒に強要することを是認している。
子供には大切とし、教える側の教師には、その正反対論旨を言い渡すことは理論破綻しているのではないか。
日本の見せ掛けの「民主主義」、いまだ未成熟の民主思想を、この判決は見事に具現した。

2006-09-17

1200年前の古語拾遺

Posted by Picasa photo:神輿大宮の鳳凰

9月13日に行われた秋祭り、
一連の写真で紹介した。
日本全国、この季節になると
祭り色で染められる。秋の
五穀豊穣を祈念して神に感謝し、
それを様々な形で表現する。
長い歴史の中で伝承された
個々の祭スタイルは同じものが
二つとない。

玉前神社の祭りは「十二社祭り」と称して、古来より伝えられる神々の縁者が一堂に会する祭りとして継承されてきた。
それは1200年前の古語拾遺とリンクする。何を大袈裟に、恣意的な誇大妄想、などと云うなかれ。そうしたことが平然と行われるのが、この日本であり神の国、歴史の国なのである。

「古語拾遺」は807年に著され、古事記・日本書紀に並ぶ古代の名著である。阿波の国、忌部一族が黒潮に乗って安房の国に移住し祖先神「太玉命」を奉ったのが現在の安房神社(千葉県安房)である。「古語拾遺」は、その忌部一族の領袖「斎部広成」が「古語の遺りたるを拾ふ」として、朝廷祭祀を仕切る氏族の権威をかけて撰上した書である。
古代の千葉県は、総之国と云われ、コウゾ栽培に適していた地勢であったことが文献で判る。おそらく忌部一族は、 その技術を携えて安房の国に上陸し、様々な先進文化を東国にもたらしたと思われる。そしてごく当然のように祭祀に関連する一式を忌部一族が担っていた。
丁度それとリンクするように1200年祭発祥の記述が隣町睦沢の鵜羽神社の伝記に遺っていた。その内容は神話に近い。
「海中に光る玉あり、これは神の化身である。時の右大臣『藤原百川』、それを上奏す。天皇勅を発し、六社を建立八個の玉を分け納めた」、というのが1200年前の伝記である。それを唯一の手掛かりとして上総の国玉前神社の1200年祭は再現された。
写真は1200年祭に出御した神輿の頂を飾る見事な鳳凰の顔である。