2006-07-20
リアルな現実社会
今朝、新聞を手にとってみるとトップに昔の事件を
扱った記事が載っていた。(読売)
ロッキード事件30年とあり、当時の若き日の首相が写真掲載されていた。30年前日本中の目が注がれていたロッキード事件は、現役首相逮捕という結末に誰もが青天の霹靂と思ったに違いない。それまで政治の核心部分に法の手は延びない、という一種退廃的な世相観が蔓延していたからである。
今年、経済界を揺るがす事件がいくつも発生し逮捕者も出している。その事件に政治家は関与していない。30年前のソレとは違って隔世の観がある。記事内容も同様のコメントを出していた。
ロ事件は今では完全に風化し、リアルに、そのことすら知らない世代がItベンチャーの社長に納まる時代である。高度成長経済を掲げた昔の日本が懐かしくもあり、誰もが一生懸命に働いた時代として今の日本が成り立っている。
その30年前の事件を扱った今の新聞の狙いは何か。インターネットを語るとき必ずといっていいほど既存メディア新聞・テレビの在り方が問われる。とくにグーグルの展開するニュース配信が既存メディアとせめぎ合い、それが世界中で議論されている。ニュース内容本体は今も昔も変わらないが、それを誰が、どんな形で社会に提供するかという方法論がいま問われている。このブログでも書いたが、新聞社の作った記事に著作権があるとしてITベンチャーが裁判で敗訴し既存メディア健在という立場をアピールした。それからさほど時間も経過していない今日、明らかな変化が生じていることを肌で感じた。冒頭の当該新聞社がグーグルのアドセンス広告、それも私のこのサイトに載っていた。ネットにニュースを配信することを是としない姿勢から一転、積極策に転じた。そして、いま手にしているアナログ紙面の新聞の「ローキード事件30年」は3ベージ分割で事件の詳細を報道している。その内容はネット上では読みきれない、新聞ならではのレイアウトである。それはインターネットのニュース配信とは明らかに異なる。記事の読み易さ、また世間がナニを知りたいか、そのことを熟慮すれば自ずと新聞紙面は変化するのである。
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