写真は日本の古典舞踊音楽、神楽舞「悠久の舞」の装束である(モデル巫女、千葉県香取神宮・堤さん)。
中国伝来の雅楽とは出生が異なり、古代より日本独自の音楽舞踊とされる。
古代朝廷「内侍所の御神楽」として宮廷内では、なくてはならない音楽として儀式に奏されていた。奈良時代より以前から古代中国の隋・唐より伝来された雅楽は、古文書によって史実が明らかにされているが、こと神楽に関してはその文献が見当たらない。もともと神楽は神話をモチーフにして出来上がった舞踊で宮廷内の御神楽と土着の里神楽に分類される。卑弥呼(推定3世紀)の時代まで遡れば明らかにされようが、その時代に関する文献は日本には無く古代中国の魏の史書「魏志倭人伝」に頼る他にない。
モデル写真に写る頭部の飾りは「天冠」といい、儀礼的正装の施しをするときに必要不可欠な飾り物である。その容姿からして古代の王を思わせる。
人間の頭部をきらびやかに飾る様式は古代より世界共通で、この写真にある天冠飾りが特別なオリジナルということではない。では、なにゆえ古代日本の神楽舞に天冠飾りがほどこされたのか、という理由は何一つ判っていない。
そもそも宮廷内で行われる内侍所の神楽が何故必要なのか、それが1300年間に渡り継承されてきた理由は何故か、という責めてはならない質問に対して答があるはずもない。伝統だから、文化だから、古式にのっとった儀式であるからと諸々の理由は付くが、それ以上の詮索をすることが無駄である。そのムダとは1300年間の歴史を一定時間の時代で云々することが暴挙である、と思われているからであり、また理路整然とその説明を出来る人間が誰もいないということでもある。
そうした曖昧模糊とした歴史の深さを一気に説明してくれるのが絵であり画像である。古代日本の文化が何処に依拠しているのか、という回りくどい文を書くよりも、古代メソポタミアの天冠(宝飾をつけた女性胸像、初期シュメール時代紀元前2600年頃)を見せた方がよっぽど説得力がある。 それがウリ二つとは云わないが明らかに似ている、と誰が見ても思う。前2600年と現代2006年で概算でも4600年という時間の隔たりがある。それが何故似ているのか、という単純な疑問を解くには、やはり過去の遺物と現代のモノを比較するのが一番早い。
前3000年にシュメール都市国家が成立したメソポタミアは古代社会特有の君主制で王を頂点として社会が形成されていた。そのスタイルも世界共通で
王が冥途へと旅立つとき、仕えていた人間も共に殉死して埋葬された。「宝飾品をつけた女性の胸像」がそれで、黄金と宝石類で飾られた冠は女官のものである、と説明されている。
その二つを結ぶものは何か。時間と空間を一気に短縮して同時間に5000年前の遺物を現代の巫女舞の天冠と並べると何が判るのか、という設問に対しての応えは一つ、それがシルクロードである。いまのところそれしか説明のしようがない。
参考文献 NHK大英博物館1メソポタミア・文明の誕生
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