photo:神輿大宮の鳳凰
9月13日に行われた秋祭り、
一連の写真で紹介した。
日本全国、この季節になると
祭り色で染められる。秋の
五穀豊穣を祈念して神に感謝し、
それを様々な形で表現する。
長い歴史の中で伝承された
個々の祭スタイルは同じものが
二つとない。
玉前神社の祭りは「十二社祭り」と称して、古来より伝えられる神々の縁者が一堂に会する祭りとして継承されてきた。
それは1200年前の古語拾遺とリンクする。何を大袈裟に、恣意的な誇大妄想、などと云うなかれ。そうしたことが平然と行われるのが、この日本であり神の国、歴史の国なのである。
「古語拾遺」は807年に著され、古事記・日本書紀に並ぶ古代の名著である。阿波の国、忌部一族が黒潮に乗って安房の国に移住し祖先神「太玉命」を奉ったのが現在の安房神社(千葉県安房)である。「古語拾遺」は、その忌部一族の領袖「斎部広成」が「古語の遺りたるを拾ふ」として、朝廷祭祀を仕切る氏族の権威をかけて撰上した書である。
古代の千葉県は、総之国と云われ、コウゾ栽培に適していた地勢であったことが文献で判る。おそらく忌部一族は、 その技術を携えて安房の国に上陸し、様々な先進文化を東国にもたらしたと思われる。そしてごく当然のように祭祀に関連する一式を忌部一族が担っていた。
丁度それとリンクするように1200年祭発祥の記述が隣町睦沢の鵜羽神社の伝記に遺っていた。その内容は神話に近い。
「海中に光る玉あり、これは神の化身である。時の右大臣『藤原百川』、それを上奏す。天皇勅を発し、六社を建立八個の玉を分け納めた」、というのが1200年前の伝記である。それを唯一の手掛かりとして上総の国玉前神社の1200年祭は再現された。
写真は1200年祭に出御した神輿の頂を飾る見事な鳳凰の顔である。
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