photo:里芋の葉
村上隆の芸術起業論を一通り読み終えて思ったことがあった。
自身の語るエピソードの中には日本人が羨望の眼差しでしか捉えない世界のビッグネームが随所に出るが、その中でも「ルイ・ヴィトン」が際立って印象に残った。世界的ブランドの代名詞のようなルイ・ヴィトンとコラボレーションし、尚且つ営業でも成果を残した、という手腕にムラカミの辣腕ぶりを証明している。
これまで日本人が、その羨望とする「核心に触れた」という歴史が過去にあっただろうか。欧米追随を規範として日々邁進してきた日本人が、現在も追っているのは欧米であり、追いついている筈のオウベイは蜃気楼のように逃げ惑う。それは追いかける日本人の姿勢の問題であり、蜃気楼にしてしまっているのは日本人自身であり、そのことを誰も指摘しないこと自体が日本的なのである。
それを本気で実証したのが彼であり、「だったら翻訳してみろよ」と妬み論者に問いかけるのだ。相変わらず悪しき因習で認めようとしない「権威者」が支配する美術界は村上隆を異端と見ているのだろう。だったら世界から見た日本自体が異端である。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」、今となっては誰も話題にしないが、西洋絵画の巨匠そのレオナルド・ダ・ヴィンチと手を組んだ唯一の日本人が村上隆ではなかったのか。世界ブランドのルイ・ヴィトンは西欧歴史の中でも「ギルド」制度を匂わせる老舗企業である。そうしたヨーロッパの保守的伝統を継承した企業と日本の伝統文化を素地にした村上アートがコラボレーションしたことが革新的である。
判っていながら誰もアクションを起こさなかった、だから自分がした、と村上隆は聡明な理論を展開する権威者に痛烈なボディーブローを見舞った。それでも現実世界、日本のアートシーンはテコても動かないだろう。
下積み時代にコンビニで売れ残った弁当で食い繋いだ村上隆を「師」を仰ぐ美術界の長老が、この日本に存在するとは絶対に思えない。
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