2006-05-31
古代エジプト王朝「ナクトの墓の女楽師たち」の著作権
写真
古代エジプト壁画 「ナクトの墓の女楽師たち」 BC1412~1402
古代エジプト王朝「ナクト」が宴のために用意した三人の女性楽師の壁画が、色褪せることなく2006年の今日まで約3500年の間、ピラヒッドに佇んでいたことが奇跡である。彼女等の容姿から視て、うら若き少女と判断できる。中央の少女は僅かな腰当てをしているだけで、殆ど裸体の姿を晒している。胸元に据えたリュートの下にはリアルな乳房が露出している。なにか意味があるのだろうか。いまとなってはその意味を解明することは不能である。ナクト王が黄泉の国でも現世と同じような生活を営むことがてきるようにと描かれた壁画である。
写真の元は、「岩崎美術社」 著者仁田三夫 タイトル「古代エジプトの壁画」1997年10月9日第一刷。
この写真をここに提供することが、おそらく何らかの形で著作権に抵触すると思う。敢えて掲載した意味は、古代エジプト遺産を著作権という寡占的権利で公共の場に晒すことが制限される、また晒すことによって相応の権利を有するものに対価を払いなさい、という論理が果たして当然かという疑問だ。著作権に対しては相当の神経を使っているGoogleでさえ、自社ロゴ使用に関してはきめ細かな制限を加えている。
前出、ガリレオが火星の衛星を発見した経緯を暗号化して記録に残した史実が認められるが、パーフェクトなオリジナル権利を死守することは誰が見ても当然であり民主的近代国家であるなら著作権があってしかるべきである。いま商業資本が何にもまして勢力を振るい、その名の下に権利を行使する世界である。それがいま大問題となっている。必要以上な寡占的支配をどこまで認めるのか、という疑問が議論されている。その基盤は何処にあるのかと、その元を手繰れば「パレードの法則」に辿り着く。
イタリアの経済学者パレードが19世紀イギリスの所得形態を研究し20パーセントの富裕層に富が80パーセント集中する、というものだった。その理論は、つい最近まで、そして今でも有効に思われる。そのバックボーンはなにか。
いわゆる社会に棲む権威者を頂点としたその裾野に群がる「プロフェショナル」と総称される一群。まさに寡占的支配を思うがままにコントロールしてきた階層である。その牙城は地球すべての領域にまたがり政治経済は勿論、あらゆるジャンルにおいて人間意識を支配している。何故そうなったのか、何故そうなのか、というアンチテーゼを示すものがこれまでないかった。
世紀の節目にその変革が訪れた。それが「Google」であると、玄人筋がアピールする。「web進化論」の梅田望夫氏、そして「グーグル・既存のビジネスを破壊する」の佐々木俊尚氏、その両雄であ。
クーグルの全貌を理解する、と公言してこのサイトブログに参加した。上記二氏の著書を読んで少しばかりは理解したが、それでも全貌の3%程度でしかない。このサイトに拘わることによって短時間でそれに迫ることを願って、きょうもブログに投稿した。
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