2006-05-28
百花繚乱:ブログ
美しい花が咲き乱れ、競った美人達が花のようだ、と喩えたのがその言葉の意味のようだ。その様子を傍らで観察している道端の「タヌキ」、それを撮った。
数が多いこと、即ちそれを成熟とは云わないだろう。しかし成熟期には数が必要で、その中からフルイにかけられ淘汰されつつ洗練されて都会的となる。ちまた溢れるブログが、いまその時期なのか成熟したのか、洗練されたのか、判別がつかない状況にある。
「web進化論」によれば、「忙しい現代人にとって最も貴重な資源は時間である。玉石混交から玉を探し出す作業に時間を費やし玉の発見に情熱を注ぐことが出来るのは暇人だけである。暇人がいくらブログが面白いと騒いでも忙しい人の心には届かない。忙しい人には玉の発見にかける時間などないから、玉石混交問題の解決に大きなブレークスルーがなければ相変わらず新聞・雑誌などパッケージされた情報源への依存が続くことになる」…、けだし名言。
著者梅田氏は既存の新聞、雑誌、テレビなどの情報媒体が、いまだに生き続けるだろうとクールな分析をする一方で、なおかつ新興ブログがそれに対抗するにはブレークスルーが必要だ、と説明しグーグルのような全く新しいコンセプトによるi・テクニカルによってそれが実現する、と私なりに解釈する。
現ブログは忙しい人の心を捉える程のパワーもないし時間的余裕もない、すなわち現代人は忙しくて「書く」方も「読む」方もヒマがない。この閉塞をどうするか誰にも判らない。困ったこまったと考えあぐね安閑としていた所にGoogelが彗星のように間隙を突いてきた。一方で国内ITベンチャー企業トップが逮捕されるという、おそまつな醜態を晒す。その隔たりは埋めようがない。
ブログより早急に「玉」探しをして提示しろ、とは一体誰の注文か。時代か社会か、それともIT企業みずからの問いかけか。
未開拓分野のITインフラで「石」ころである表現者達に特段の罪などない。ブログを商品価値として売っているのはIT企業であり、日本国内IT関連企業に限定すれば「流行」だからしているだけで、ブログを将来的な言論のもののふにするなど微塵も考えていないし仕掛人の「明確な意思」がない限り向壁虚構である(虚構、偽物の例え)。作為者がそうなのだから表現者に云わせれば「好き勝手言いたい放題ナニしたっていいジャン」、で百花繚乱である。
面白い本があるので紹介したい。
「哲学原理」デカルト著。桂寿一・訳 岩波文庫(1964年4月16日1刷発行)
一番面白いのが形而上学である。ナニが面白いか、というとまったく判らないところが、ずば抜けてオモシロイ。
形而上学は紀元前、ギリシアの哲学者アリストテレスが勧めた理論で約2500年前の古典哲学である。ラテン語で著したデカルトは1644年の48歳 の時であった。
現代社会の世界的IT革命を考える時、疎かにしてはならないのが古代古典科学であり哲学だ。昨年のことだったが、ネットで広告紹介されていた地方企業の宣伝する「カーボン繊維素材」の利用法で一般にアイディアを公募していた。興味があったので資料請求すると、そのサンプル送られて来た。ネットのバーチャル世界を通して「カーボン繊維」の実物を見たとき、「この事象はアリストテレスでもなければデカルトでもない」と判断した。すなわち、歴史上の架空リアル歴史物語世界よりも、手に触ったカーボン繊維の方がより現実なのである。
ギリシアの七賢人タレスが考え事をしていて井戸に落ちた、その逸話話しを実際見た訳ではないが歴史の史実として記録されている。
アポロが月に着陸したと誰もが思っているが実際にそれを、その場で見たものはいない。
Photo:千葉県夷隅郡の田舎町、ボランティア施設の道標、兼看板の「狸」
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