「Google」を語るのにブリンとペイジを抜きに語ることはできない。
1999年から2000年にかけて、友人宅のガレージを間借りして「検索エンジンを開発」していたスタンフォード大学の学生、それがブリンとペイジだった。American・Successstoryを絵に描いたような逸話話しである。その後の経緯については「web進化論」に詳しいが、ここでは神の領域について語ってみたい。
web進化論で紹介する「ネットの三大法則」というのがあって、トップに「神の視点からの世界理解」という項目がある。別に宗教的な解釈ではなく、大きな視点をもって地球規模の人間世界を観察する、という意味らしい。それは広義解釈と理解するが、とても小さな領域に限定して神たる領域を観察すると、そこに人間世界また生物世界の宇宙が存在する。野生動物の世界で、親から産み落とされた子が大人へと生育するまでには、とてつもない試練が待ち受ける。それには幸運と自力の生命力が不可欠で運良く勝ち残る確率は1%にも満たない。そこには生命体個人の意思に反して千変万化(多様に変化)な試練が待ち受け、固体の存在価値痕跡を遺すには厳しい現実がある。そうして勝ち残ったのが「Google」、だと私は思う。かりに「神」がいたとして、その力を頂いたのがブリンとペイジだ。
物理学の世界では「用意したものに幸運は宿る」という定型句がある。その場、取り繕いの浅知恵ではなく信念に基づいた研究をコツコツと愚直に進めることこそが神の領域に向かうという比喩である。そんな意味も含めてブリンとペイジには神がニッコリ微笑んだのだろう。
そこまでは何となく理解したが、その先にはもっと大きな力が作用しているようなうな気がしてならない。グーグルのしているコンセプトは余りに巨大で、それは国家的プロジェクトに匹敵する。世界政府を標榜している姿勢もその一環だろう。
かのアインシュタインが相対性理論を提示したのが1905年、当時 26歳。「哲学原理」を著したデカルトは1644年、当時48歳である。因みにブリンとペイジは1973年生まれ。
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