2006-05-11


玉石混交、宝石と道端に転がる石が混然となって見分けが付かない。解釈として良いか悪いかの区別がつけにくい、とかミソ・クソなど、どれがホンモノなのか判然としない様を著わします。「web進化論」の中で梅田氏が良く使ってい漢字です。その使い方を文中一節を引用して紹介しましょう。
「普通の人が何かを表現したって誰にも届かない、が当時の結論。でもそれ玉石混交の厖大なコンテンツから玉を瞬時に選び出す技術が当時はまだほとんど存在していなかったからである」。
文中内容は、いま世界中で進行しているインターネット上の「作者」が提供する多種多様なコンテンツを選び出すPcのテクニカル部分が未成熟であった時代では、その中から「宝石」を探し出すことが困難であった、ということです。
そのことは私のPc経験上からもまったく同感の意見です。私はamateur musicianとして今も現役で、主に雅楽を演奏していますがインターネットを通して洋楽の自作曲を公開しております。その音楽サイトは日本の楽器メーカーがamateur音楽家を広く一般から募集して曲を配信するというサービスです。デジタル音楽の飛躍的発展で楽器がなくてもパソコンだけで曲が作れるというインフラが整っていますから年齢の制限無く誰でも簡単に曲を投稿することが出来ます。そこには梅田氏の指摘する「石」が無限大で拡散しているのです。中にはプロも混じって曲を公開してますが、それは聴くと直ぐ判ります。巷に氾濫する「音楽」と何ら変りがなく無難ではあるけれども「面白味」に欠けるからです。そのことは梅田氏の云う「ロングテール」世界の枠と一線を画した世界で、それは恐竜の首の世界です。インターネットの可能性とはロングテールの厖大な潜在能力開発ですから、まず圧倒的な量の「石」探しから始まる訳です。その探している当人は誰か、というのが問題で権威者、研究者、評論家、既存メディアなどではありません。「プロフェッショナルとは何か」、「プロフェショナルを認定する権威とは誰なのか」という梅田氏の問い、はたまたアメリカで今もっとも関心のあるその「定義」が重要なのです。

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