2006-05-11

量子力学、とは専門物理学の用語ですから一般的に使われることはありません。詳しくは「量子論」のことで素粒子を云います。そのことについてファイマン氏は平易に説明し、古典ニュートン力学の概念をもって量子力学を考えてはいけない、と教えています。
丸善出版社から出ている「いまさら量子力学?」の広告が、その内容を凝縮して書いてありますので紹介すると「量子力学が描き出す自然の姿は私たちの常識に反する面をもっています。しかし、その誕生から65年を経過した今日、量子力学の基本的部分の理解は理論的にも実験的にも急速に進歩し、応用面への展望もふまえて新しい段階へ進もうとしています。素粒子の世界からマクロな超流動・超伝導まで、あらゆる場面に現れる量子力学特有の不思議な現象」。
この量子論についてアインシュタインは次のように語っています。
「量子論の根幹となる思想の特質をごく短く述べるとするなら、こう云っていいでしょう。従来は連続的なものとして見なされて来たある物理的の量は素量子から構成されている、と仮定されなければなりません。量子論で論じられなければならない事実の範囲はいかにも広いものです。そしてこれらの事実は近代において実験技術が著しく進歩したことによって明らかにされて来たのでした」。
チョッとばかり難しい、いや全然理解出来ない内容です。量子とは素粒子で原子核のことを云っているのですが、超ミクロ世界の物理現象ですから人間に関知出来ない領域です。しかし現実世界、拡大して全宇宙のシステムはこの量子によって構成されているのです。そのことに関してニュートン力学以前まで人間は知ることがなかった。紀元前ギリシアの古代自然科学を継承したニュートンのアナログ的自然物理学が根底から覆されてしまった、それが量子論です。この大変革がいま、インターネット上で進行している、と推論するのですが、どうでしょう。
ある「生き物」Aがそこにいた、と仮定します。その目の前には粗目の格子状の檻があり中に好物のエサが置いてあります。「生き物」Aは格子目の寸法よりズッと小さく簡単に素通りできるサイズです。壁に開いた孔をすり抜ける鼠を想定しても結構です。「生き物」Aはサイズか小さいため檻の存在などまったく気にしません。好物のエサは食い放題です。生き物は自然の摂理に従って成長しサイズが大きくなります。そのことを生き物本人はまったく自覚していません。やがて檻の格子目サイズより大きく成長したAは檻から出られなくなります。それでもエサは与えられていますから喰うことに専念し、檻の外の世界を忘れ去ってしまいます。エサは全宇宙に与えられた「時間」と換言してもいいでしょう。
我々人間は、この檻の中に閉じ込められた「A」と置き換えることができないでしょうか。宇宙のサイズは宇宙創生「ビッグバン」以来より決定されている、と解釈することが前提で、その仮説理論が基本です。したがって時間の単位がどのように決定されているか、という宇宙のナゾを解かない限り、総てが仮説に留まってしまいます。
檻のサイズとは銀河系の運行、限定して云えば太陽系の周期に、いささかの変動もないということです。決定されたサイズの中で徘徊する生き物・Aは成長するメカニズムDNAは与えられていますが、予め決定された檻サイズと、自分自身が大きくなる、というギャップを埋められないまま、人類はこの2006年を迎えた、と断言することは魑魅魍魎(チミモウリョウ)でしょうか。
生まれたばかりのサイズというのは総てが小サイズで物理学的に量子であり素粒子と見ることができるでしょう。それは全宇宙の普遍的なサイズと決定されていると思えてならない。では檻のサイズが何故変化しないのか、という矛盾が立ちはだかりますが、そうした矛盾こそがニュートン以来の古典力学ではなかったのか、と真に恣意的な意見ですが考えを羅列してみました。
だからといって私が大学でニュートン力学を学んだ、ということではありません。この分野においてまったくの門外漢で素人の浅学と非難されても反論すべき論拠は何も出ません。だからこそblogの真骨頂が発揮されると自画自賛しているのです。

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