2006-06-03

エーゲ海沿岸の歴史

                                     
当サイト広告に「ダ・ヴィンチ・コード」関連の広告が多く載っていたのでダ・ヴィンチの話題ではなく「隠されたナゾ」の部分を少しばかり探ってみたと思った。「2000年間隠されてきた人類の歴史を揺るがす謎とは」、また大層な見出しだ。舞台がパリのルーブル美術館であることも見逃せない歴史の謎解きをするのに好都合である。
その館内に並んだ巨大レリーフ彫刻は紀元前に創られたものばかりだ。とくに多いのがメソポタミア(現イラク)遺跡類。
映画では秘密結社の紋章の鍵…、が思わせぶりだが紀元前の宗教観を詳細に調べると、限定された部族に発生した宗教(神)には今のロゴのようなものがふんだんに使われていた。古代社会の話だから部族間の交流また闘いであって、いまで云う秘密結社に当たるかも知れない。「あいつら密かに悪巧み」をしていると、部族同士がいがみ合えば、それが戦になる。古代歴史を大雑把に捉えれば殺戮史でありそこに崇拝される宗教的神の存在がある。
エーゲ海に浮かぶ小さな島「クレタ島」には、小さいながらも古代歴史のエッセンスが一杯詰っている。とくにギリシアの影響が色濃く残り、また神話そして伝説化した逸話も豊富に語り継がれていた。
クレタ島は地理的に地中海沿岸欧州、北アフリカ、西アジアに歩いて届くほどの距離である。勿論島であるから舟を利用するが、その舟もまた古代歴史を彩っていた。小アジア西の終着にオスマン帝国があるが、アジア文明を吸収するにも好都合の地の利である。
牛頭人間ミノタウロス伝説、当時クレタ島信仰として牡牛信仰があった。地中海世界の覇者となった隣接するギリシアに、そのミノタウロス神話が誕生する。海神ポセイドンから贈られた牡牛と王ミノスの妻パシパエが獣姦によって誕生したのがミノスの牡牛「ミノタウロス」だ。頭が牛、体がヒトの「神」はその後も多くの影響を与え、各地に伝説の神として奉られるようになる。
古代ペルシア紀元前3世紀頃、ミトラス神の神殿には牡牛を殺すミトラス神像が崇拝対象となっていた。そして現代に引き継がれたキリスト神話には守護者ミトラスと類似する信仰形態が多数見られる。冬至の日に近いミトラスの誕生日とイエスの誕生日は同じである。登場する羊飼いの使い方も似て、ミトラスの誕生を知っていたのが羊飼い、そしてミトラスが天に戻る前、「最後の晩餐」において羊飼いはその場にいた。キリスト復活祭イースターは春分の日のミトラスの昇天日でもある。カトリックの総本山バチカンの丘はミトラスを祭る洞窟神殿があった場所である。当時の世界を制覇していたローマ帝国時代の遺産とも云うべき神話・伝説がギリシア神話とも相まって遺り、それはエーゲ海沿岸の歴史、また西欧歴史でもあ。クレタ島に今でも存在するクノッソス遺跡がすべてを語っている。
パリ、ルーブル美術館、イギリス大英博物館に収蔵展示されている数万点の遺跡発掘品にはメソポタミア、ペルシア、アフガニスタンなど世界文明発祥の痕跡をのこす遺品が多い。北アジア圏内のアフガニスタン遺跡には日本の文化にも大きな影響を与えた品も多いが同時にギリシア文明の片鱗もみせている。特に私の心を引きつけたのは「ゼウス神像の左足」で石に刻み込まれた巨大な左足に歴史の総てが凝縮していると咄嗟に思った。それほど説得力をもっている。それらの発掘品がルーブル美術館や大英博物館に収蔵されていること自体が「ナゾ」である。それはスペイン人がインカ文明を抹殺したことと無関係ではないような気がする。

参考文献 ペルシア神話 ジョン・R・ヒネルズ 青土社  森を守る文明・支配する文明 安田喜憲 PHP新書 キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ 徳間書店 

2006-06-01

ブリンとペイジの物語

「Google」を語るのにブリンとペイジを抜きに語ることはできない。
1999年から2000年にかけて、友人宅のガレージを間借りして「検索エンジンを開発」していたスタンフォード大学の学生、それがブリンとペイジだった。American・Successstoryを絵に描いたような逸話話しである。その後の経緯については「web進化論」に詳しいが、ここでは神の領域について語ってみたい。
web進化論で紹介する「ネットの三大法則」というのがあって、トップに「神の視点からの世界理解」という項目がある。別に宗教的な解釈ではなく、大きな視点をもって地球規模の人間世界を観察する、という意味らしい。それは広義解釈と理解するが、とても小さな領域に限定して神たる領域を観察すると、そこに人間世界また生物世界の宇宙が存在する。野生動物の世界で、親から産み落とされた子が大人へと生育するまでには、とてつもない試練が待ち受ける。それには幸運と自力の生命力が不可欠で運良く勝ち残る確率は1%にも満たない。そこには生命体個人の意思に反して千変万化(多様に変化)な試練が待ち受け、固体の存在価値痕跡を遺すには厳しい現実がある。そうして勝ち残ったのが「Google」、だと私は思う。かりに「神」がいたとして、その力を頂いたのがブリンとペイジだ。
物理学の世界では「用意したものに幸運は宿る」という定型句がある。その場、取り繕いの浅知恵ではなく信念に基づいた研究をコツコツと愚直に進めることこそが神の領域に向かうという比喩である。そんな意味も含めてブリンとペイジには神がニッコリ微笑んだのだろう。
そこまでは何となく理解したが、その先にはもっと大きな力が作用しているようなうな気がしてならない。グーグルのしているコンセプトは余りに巨大で、それは国家的プロジェクトに匹敵する。世界政府を標榜している姿勢もその一環だろう。
かのアインシュタインが相対性理論を提示したのが1905年、当時 26歳。「哲学原理」を著したデカルトは1644年、当時48歳である。因みにブリンとペイジは1973年生まれ。

2006-05-31

古代エジプト王朝「ナクトの墓の女楽師たち」の著作権


写真 
古代エジプト壁画 「ナクトの墓の女楽師たち」 BC1412~1402 

古代エジプト王朝「ナクト」が宴のために用意した三人の女性楽師の壁画が、色褪せることなく2006年の今日まで約3500年の間、ピラヒッドに佇んでいたことが奇跡である。彼女等の容姿から視て、うら若き少女と判断できる。中央の少女は僅かな腰当てをしているだけで、殆ど裸体の姿を晒している。胸元に据えたリュートの下にはリアルな乳房が露出している。なにか意味があるのだろうか。いまとなってはその意味を解明することは不能である。ナクト王が黄泉の国でも現世と同じような生活を営むことがてきるようにと描かれた壁画である。
写真の元は、「岩崎美術社」 著者仁田三夫 タイトル「古代エジプトの壁画」1997年10月9日第一刷。

この写真をここに提供することが、おそらく何らかの形で著作権に抵触すると思う。敢えて掲載した意味は、古代エジプト遺産を著作権という寡占的権利で公共の場に晒すことが制限される、また晒すことによって相応の権利を有するものに対価を払いなさい、という論理が果たして当然かという疑問だ。著作権に対しては相当の神経を使っているGoogleでさえ、自社ロゴ使用に関してはきめ細かな制限を加えている。
前出、ガリレオが火星の衛星を発見した経緯を暗号化して記録に残した史実が認められるが、パーフェクトなオリジナル権利を死守することは誰が見ても当然であり民主的近代国家であるなら著作権があってしかるべきである。いま商業資本が何にもまして勢力を振るい、その名の下に権利を行使する世界である。それがいま大問題となっている。必要以上な寡占的支配をどこまで認めるのか、という疑問が議論されている。その基盤は何処にあるのかと、その元を手繰れば「パレードの法則」に辿り着く。
イタリアの経済学者パレードが19世紀イギリスの所得形態を研究し20パーセントの富裕層に富が80パーセント集中する、というものだった。その理論は、つい最近まで、そして今でも有効に思われる。そのバックボーンはなにか。
いわゆる社会に棲む権威者を頂点としたその裾野に群がる「プロフェショナル」と総称される一群。まさに寡占的支配を思うがままにコントロールしてきた階層である。その牙城は地球すべての領域にまたがり政治経済は勿論、あらゆるジャンルにおいて人間意識を支配している。何故そうなったのか、何故そうなのか、というアンチテーゼを示すものがこれまでないかった。
世紀の節目にその変革が訪れた。それが「Google」であると、玄人筋がアピールする。「web進化論」の梅田望夫氏、そして「グーグル・既存のビジネスを破壊する」の佐々木俊尚氏、その両雄であ。
クーグルの全貌を理解する、と公言してこのサイトブログに参加した。上記二氏の著書を読んで少しばかりは理解したが、それでも全貌の3%程度でしかない。このサイトに拘わることによって短時間でそれに迫ることを願って、きょうもブログに投稿した。

神楽面


写真は玉前神社(千葉県一宮町)に古来より伝わる日本民俗伝統芸能の神楽面。
これから本番を控え、面を着け終わって出番を待つ。

舞・「加茂明神」 面・「翁」
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2006-05-28

百花繚乱:ブログ


美しい花が咲き乱れ、競った美人達が花のようだ、と喩えたのがその言葉の意味のようだ。その様子を傍らで観察している道端の「タヌキ」、それを撮った。
数が多いこと、即ちそれを成熟とは云わないだろう。しかし成熟期には数が必要で、その中からフルイにかけられ淘汰されつつ洗練されて都会的となる。ちまた溢れるブログが、いまその時期なのか成熟したのか、洗練されたのか、判別がつかない状況にある。
「web進化論」によれば、「忙しい現代人にとって最も貴重な資源は時間である。玉石混交から玉を探し出す作業に時間を費やし玉の発見に情熱を注ぐことが出来るのは暇人だけである。暇人がいくらブログが面白いと騒いでも忙しい人の心には届かない。忙しい人には玉の発見にかける時間などないから、玉石混交問題の解決に大きなブレークスルーがなければ相変わらず新聞・雑誌などパッケージされた情報源への依存が続くことになる」…、けだし名言。
著者梅田氏は既存の新聞、雑誌、テレビなどの情報媒体が、いまだに生き続けるだろうとクールな分析をする一方で、なおかつ新興ブログがそれに対抗するにはブレークスルーが必要だ、と説明しグーグルのような全く新しいコンセプトによるi・テクニカルによってそれが実現する、と私なりに解釈する。
現ブログは忙しい人の心を捉える程のパワーもないし時間的余裕もない、すなわち現代人は忙しくて「書く」方も「読む」方もヒマがない。この閉塞をどうするか誰にも判らない。困ったこまったと考えあぐね安閑としていた所にGoogelが彗星のように間隙を突いてきた。一方で国内ITベンチャー企業トップが逮捕されるという、おそまつな醜態を晒す。その隔たりは埋めようがない。
ブログより早急に「玉」探しをして提示しろ、とは一体誰の注文か。時代か社会か、それともIT企業みずからの問いかけか。
未開拓分野のITインフラで「石」ころである表現者達に特段の罪などない。ブログを商品価値として売っているのはIT企業であり、日本国内IT関連企業に限定すれば「流行」だからしているだけで、ブログを将来的な言論のもののふにするなど微塵も考えていないし仕掛人の「明確な意思」がない限り向壁虚構である(虚構、偽物の例え)。作為者がそうなのだから表現者に云わせれば「好き勝手言いたい放題ナニしたっていいジャン」、で百花繚乱である。

面白い本があるので紹介したい。
「哲学原理」デカルト著。桂寿一・訳 岩波文庫(1964年4月16日1刷発行)
一番面白いのが形而上学である。ナニが面白いか、というとまったく判らないところが、ずば抜けてオモシロイ。
形而上学は紀元前、ギリシアの哲学者アリストテレスが勧めた理論で約2500年前の古典哲学である。ラテン語で著したデカルトは1644年の48歳 の時であった。
現代社会の世界的IT革命を考える時、疎かにしてはならないのが古代古典科学であり哲学だ。昨年のことだったが、ネットで広告紹介されていた地方企業の宣伝する「カーボン繊維素材」の利用法で一般にアイディアを公募していた。興味があったので資料請求すると、そのサンプル送られて来た。ネットのバーチャル世界を通して「カーボン繊維」の実物を見たとき、「この事象はアリストテレスでもなければデカルトでもない」と判断した。すなわち、歴史上の架空リアル歴史物語世界よりも、手に触ったカーボン繊維の方がより現実なのである。
ギリシアの七賢人タレスが考え事をしていて井戸に落ちた、その逸話話しを実際見た訳ではないが歴史の史実として記録されている。
アポロが月に着陸したと誰もが思っているが実際にそれを、その場で見たものはいない。

Photo:千葉県夷隅郡の田舎町、ボランティア施設の道標、兼看板の「狸」

長谷川等伯について

画像、長谷川等伯(1539-1610)作の「松林図屏風」は桃山時代に描かれた日 本でも屈指の六曲一双屏風の名作として知られ国宝でもある。現在、東京国立博物館に所蔵されているが常設ではない。数年前、私は東京国立博物館で実物を観察したが作品保護のため照明が暗く、ことのほか小さく見えたが、さすが等伯の息吹を感じ取った。
靄(もや)に沈む込む針葉の松を見事に描き出した作風は、他に比肩するものがない。日本人の心を捉えたその絵は今でも高い人気を誇る。
いま映画「ダ・ヴィンチ・コード」が全世界で公開されているが、その注目はモナリザ、晩餐などに秘められた暗号コードのようで絵画鑑賞とは縁がない。日本の古典絵画屏風類などは絵にコードを埋め込むような姑息?なことはしな
い。自然界に存在する対照を心象的に捉え、作者の筆が趣くままにサッと書き上げる。油絵のように何度も何度も壁塗りもしない。白い和紙の一点に全神経を集中し青墨を載せていく。描き上げられた絵の空白部分は「かすみ」となって絵を構成している。まさに、これは哲学の絵である。
白黒陰陽の世界をものの見事に描いた日本の名品だが、残念なことに欧米人にとって視点が異なるようだ。また外に向け積極的なアピールもしていないようだ。このサイトに集まるユーザーの眼は世界が対象と考えるなら、ここから長谷川等伯の絵画を発信したいと思う。

長谷川等伯 「松林図屏風」(AC.16) 東京国立博物館蔵

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2006-05-25

駑馬十駕

グーグルの創業者ラリー・ページ、セルゲイ・ブリン
の両氏は1973年生まれの33歳。
グーグルのシステム構築に大きく貢献したジム・リースはハーバード大学生物学科卒、エール大学医学部を納め、神経外科医の肩書きをもつ。歌手ギタリストでCDも出すほど、ほとんど「天才」といって良いほどの才能を持ち合わせている。グーグル創業当時に18人目の社員としてラリー、セルゲイの両氏を支えた。
現代のPCインターネット時代を創るのに多大な役割を果たしたビル・ゲイツ氏は1955年生まれで51歳。比較の対象になるかどうか疑問だが日本のITベンチャー産業に足跡を残した(?)「堀江」氏は 33歳でグーグル創業者両氏と同年である。
何れにしても若き創業者たちによってIT産業が牽引されている。業界のそんなシーンにいるビル・ゲイツ氏は世界の富豪の一人として、まさに帝王というべきか。
ジャンルは異なるがプロゴルフ界の立役者ジャック・二クラス氏が現役時代、ゴルフ界の帝王として君臨していた。が、老齢は避けられず、その桧舞台を若手に譲って随分時間が経つ。世代交代は必然的にやってくるものである。

Googleの全貌を理解する、とは私がこのサイトでブログを書くにあたり、宣言したことだがGoogleというアメリカのIT企業を懇切丁寧に教えてくれたのが
「web進化論」(ちくま新書)の著者「梅田望夫」氏である。といっても面識があるわけでもなく、私は単なる一読者の立場でしかない。本の内容を読み進み、アナログ的には理解しているものの、実際にサイト内に潜入して「AdSenseの使い方」となると自分でマウスを触らないと判らないのがPCである。そんな意味で駑馬十駕(どばじゅうが)、一日十里の超微速だか努力すれば天才
ジム・リース氏に肉薄する、という。(殆ど無理か?)

(クーグルに関する情報すべては「web進化論」による。今後もその情報は
梅田氏の筆に依存することを、この場で言明しておく)

2006-05-22

ダ・ヴィンチ・コード・?Ⅹファイル?の結末

今朝、仕事に出かける前にこのブログをチェックしていたところ、雲散霧消したはずの隠れ⒳ファイルが「粗大ゴミ」の中からヒョッコリ出てきました。いま書いている原稿が「ダ・ヴィンチ・コード」でしたから何かのタタリか?と恐怖におののいていましたがタタリでも何でもありません。単なる私の操作ミスでした。侮っていたのは自分自身で、お騒がせいたしました。平身低頭お詫び申し上げます。
それにしてもパソコンの操作方とは複雑(簡単安易)怪奇と、思うことしきりです。その原因をまず最初に言っておきましょう。
「投稿を編集」で、その表示欄ボタンがあり、数・内容・実行ボタンが3つ並んでいます。問題は真ん中の、すべて・下書き・現状、の3タイプの選択があって、「すべて」を表示していれば何も問題はなかったのです。ところがこの表示が「現状」になっていた。ただ、それだけの話しです。その結果、下書きしたはずのファイルが表示されず、本文訂正した訂正文が公開されない、という異常事態を引き起こしたのです。おまけに本文左脇のダイジェスト欄に、どうした訳か自分のプロフィール欄に書いたコメントが表示されています。そんなこと、どうやったら編集できるのでしょうか、不思議です。そうした経緯を一切知らず何かの陰謀かと早合点して、あらぬことをとりとめもなく書き綴りました。
それがⅩファイルです。いま判っている範囲で、その内容を記述しますと、5月20日「ダ・…、毀誉褒貶」3タイプ、5月21日「ダ・…、3」同様1、5月21日「ダ・…、ファイルミステリー」となっていますが、これは今朝22日の早朝に入力したものです。が、日付が21日になっている。これ、もしかしてアメリカ時間ではないでしょうね。今書いている原稿は紛れも無く22日付、ですから間違いなく22日の午前5時30分頃のデータと記憶しております。仕事の就業時間を気にしながら書いていましたから間違いない筈です。しかし、それらはⅩファイル化してますから過去に入力した情報が、その日付に摩り替わった、ことも考えられます。それを追跡調査したところで何にもなりませんが、未だにそのメカニズムが理解できませんし最大の関心事はプロフィール紹介文が記事と同様に公開されていることです。それが公開されて私が困ることは全然ありませんで、むしろ大っぴらにしてくれたほうが都合がよい内容です。その内容とはGoogle社が現在進めているハズの自動翻訳システムが早く完成して英語が出来ない私の手足になって貰いたい、といったような話しです。
それで、きよう、仕事をしている間にⅩファイルと自動翻訳機のことを考えていたのです。
自動翻訳システムは誰もが期待し待ち望んでいるコンテンツで、これが完成したら「世界の人々は皆兄弟」になるでしょう。異なる言語が国家を形成してきた歴史が、これまで人類の歴史ですから、それを一気に塗り替えるために必要な大変革の道具です。それが完成したら一揆や革命どころの騒ぎではない。コペルニクス的な大変革が起きるでしょう。
それで英語の出来ない私が、その翻訳機の変換作業を少しばかり考えてみました。例えば、ごく日常的な会話を想定し、「妻はGolfに行った」、という日本語を他国語にどう変換するかを思ったのです。
妻、は、ゴルフに行った、の場合、深い訳を含まない単なる行動を指します。しかし、妻とゴルフに行った、となるとただ事ではない。それは毎週か、毎月かそれとも一年に一回か、どんな理由があって「妻」とゴルフにいったのか、などイマジネーションの組み合わせが幾通りも考えられます。さらに、妻がゴルフに行った、となると尋常ではない。相手は誰か、家の者は知っているのか、初めてゴルフに行ったのか、お金はあるのか、仕事を休んでまでゴルフをするものか、有給を使ったのかそれとも代休なのか、自分のクラブはあるのか借り物か、ラウンド幾つで回れるのか、練習は積んでいたのか、などと数千通りのバージョンが考えられます。それをかりに日本語から英語翻訳、その反対、そしてそれ以外の世界の言語を「妻、が、ゴルフに行った」翻訳をするのですから大変な作業です。おそらの世界各国のエキスパートを集めて円卓会議的に作業処理するのでしょうから、つばぜり合いの応酬は必至です。そこに一寸でも宗教的内容が入ると怪しげな雰囲気が漂うことが想像されます。そんなことを考えただけでも、既に頓挫です。それに手を着けたGoogleはやはり先覚的です。頓挫せず是非とも完遂させて頂きたいと願うばかりです。  なお、この原稿を送信した後にⅩファイル編集処理をしますが、正しく編集出来るかどうか未定です。その際トラブル要因の一つである画像挿入はいたしません。
訂正、プロフィール欄の紹介は自動的に表示されるようです。今回初めて記入して気づきました。

2006-05-21

ダ・ヴィンチ・コード と毀誉褒貶


映画「ダ・ヴィンチ・コード」について延々と書いて、毀誉褒貶の理由をさらに書き綴って文を結んだ、積もりで下書き保存し、再度本文訂正して「投稿を公開」クッリクしたのですが、訂正されていない。

可笑しいな、と思いつつ「クッキー」を頼って「投稿を復活」してみたが音沙汰がない。これまでの失敗経験から画像を先に入力してから文を書き込んだのが間違いの元だったようです。容量オーバーと、myPCの監禁状態がたたってパンクしたようです。それで書いた内容の本文などコピーしてませんから、初めからやり直し、ということになりますが、今更同じような内容を書けませんし、思い出せない。そうした経験は誰もが体験していることでしょう。これが仕事上で金銭がらみだったら大変なことです。それは実際あった話で証券会社の入力ミスで億単位の金が吹き飛んだことは既にご承知でしょう。下手をすると命と引き換えの賠償金額が待っているのです。

いや、そんなことを羅列して言い訳をいっている場合ではありません。ブログを書く、ということはそれが対価の無い行為だとしても一種のサービス精神ですから言い訳無用です。本当に期待させてしまって申し訳ありません。時を待って「ダ・ヴィンチ・コード」について書きたいと思います。なお、画像だけは覚えておりますので同じものを入れておきます。

ダ・ヴィンチ・コード と毀誉褒貶


映画「ダ・ヴィンチ・コード」が全世界で注目の的になっているようです。上映される前からストーリー内容が宗教的問題として話題となり宣伝効果に拍車をかけているようです。したたかな商業主義と穿った見方はいけないのでしょうか?
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の原作は小説のようですが、作家ダン・ブラウンは40歳新進気鋭の作家だそうですが以前は教師をしていたらしい。そうした情報はインターネット上に満載で、とくに映像ダイジェストが効果的のようです。映画産業に手を染めた日本の電気メーカーS社が、ネットと同時進行でこの映画をプロデュースして、映画産業の新しい方向性を探っているようにも見えます。これと同じ手法でジェラシックパークがありましたが、そのような戦略はハリウッド的のようです。
かなり前の話ですが、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」が世界的ベストセラーになったことを覚えている方も多いでしょう。いま出版界でハンコックの名前を聞いたことがありません。とかく大衆とは飽きっぽいし、売り手側は商売にならないとサッと引き揚げます。そして次の話題作が世を席捲する。この繰り返しです。なにしろ今は時間のサイクルが早い。時の刻みは宇宙創生ビッグバンより普遍ですが、概念で生きている人間世界は、時が延びたり縮んだりします。大きな塊がある同じ方向に向かって動いている。グローバルという名の下に世界の目がある基準値?を発信元として、世界全体が同時進行している様子がパソコンのインターネットを通して垣間見えます。
「ダ・ヴィンチ・コード」がよい例で、全世界の人間が同じ映画をほぼ同じ時間帯に観るのです。その内容は、絵画に隠された暗号がキーポイントになっていますが、それが宗教界でも問題となっているようです。隠された暗号とは、今更新しいものではなく歴史的にもコード化された暗号をつくった作者はいくらでもいます。前出、ニュートンの「秘密の箱」の中に秘められた錬金術原稿など挙げられます。17世紀頃、近代科学の夜明け時代、先取権を確保するのに科学上の暗号が考案されました。今の著作権保護のハシリでしょうか。
近代天体観測の第一人者ガリレオが考案した暗号をケプラーが解読したという映画より面白い実話が歴史上に残っております。
ガリレオの作った暗号、14種類37文字で作られ、これを並べ替え組み合わせで構成した。その時代、ともに天体運行に興味を持っていたケプラーはガリレオが作った暗号解読に取り掛かった。その結果、「ガリレオが火星に2個の衛星を発見した」、と誤訳したのです。これがどうして誤訳かという、話が面白い(じっさい火星には衛星が2個)。その当時の観測では火星に衛星は存在しないと思われていたからです。またガリレオは土星に衛星3個と観測していたが、それは星ではなく環であったのですが、本人手作り望遠鏡ではそれが確認できなかった。
コペルニクス以来の地動説、「天体の回転について」から今日まで飛躍的な天体観測結果が得られていますが、過去の歴史から学ぶべきものは多いのです。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」にまつわる諸説が世界中に渦巻いていますが、17世紀当時のガリレオとケプラーの応酬も毀誉褒貶(きよほうへん)があったことでしょう。褒めたりすかしたり、おとしいれたり壊したりと、だいたい批判的な態度になることが多いようです。それでも大真面目で過激な批判行動が余計に注目され、それが商業的に宣伝効果をもたらす、という昨今の社会事情は普通なのか、それとも異質な事態なのか判定が難しい。
今朝のことですが、海に出かけて日の出を観てきました。天体の運行とは関係なしに。千葉の外房に住んでいますから太平洋の海がパノラマで広がっています。水平線上にはなにも無く、そこに太陽が昇る景色は何度観ても飽きることがない。早速デジカメに納めてパソコンに入れました。上記の写真がソレです。そんなことが出来るなんてガリレオもニュートンもケプラーも、そしてダヴィンチも知らない。だが、彼らの傑出した才能がなかったなら今のデジカメ・パソコンは存在しない。
2006年というリアルタイム、パソコンの窓を覗いていると世界中の出来事が瞬時にして見ることが出来ます。今の世の中、殆どと云っていいくらい社会を観察するのにパソコンで用が足ります。それに没頭していると脳内の神経回路が活性し、それらが概念上の出来事バーチャル世界に移行しているような錯覚をおぼえ、太平洋に昇る太陽でさえWINDOW世界のフレームに納められていると、脳思考が勝手に判断しはじめているような気がいたします。これはすでに「サイエンス・フェクション」です。
これ、杞憂でしようか。??

2006-05-19


彫虫篆刻、(ちょうちゅうてんこく) 彫虫とは虫の形に刻むこと、篆刻は篆書体文字を象牙など印体に彫り込み印影を作ることですが、文字内容としては体裁を繕うことを云うようです。美辞麗句と同義語思えばいいでしょう。私は篆刻も彫りますが、ある日伐採した倒木杉の表皮下におかしな文様を発見して、それをよくよく観察すると、それは虫食い痕でした。そのスタイルが真に篆書そのもので古代の人間は虫から文字のヒントを得たのだ、と感慨を抱いたものです。
その篆書は古代中国の文化遺産でおそらく2000年以上の歴史があるでしょう。では何故それを現在の日本人が使っているのかという問題意識は、私がいましている雅楽演奏と根底で繋がっています。前ブログで書いたように奈良時代の遣唐使によって「唐の国」から持ち帰った、当時としては先進文化であったのです。古代中国の、その先進文化を約1300年間も堅持し継承してきた日本国は保守という意味では世界に例をみないでしょう。そうした先人の文化文明を尊び保護してきたのが天皇制です。初代天皇は神武と云われてますが、これは神話世界で、そのことを記紀は明確に記しています。西暦672年に天皇として天武が即位しておりますが、このときより「天皇」と称したようです。
世界の古代遺跡に共通することは、当時の君主であった強大な権力者は皆一様に贅沢な墳墓を造らせています。古代日本も同様で、きらびやかな副葬品が墳墓から発掘されることがあります。
ここに載せた上記写真は「ヒラカ」といって古代古墳に埋葬する品の一つでした。祭祀に用いた品を埋葬者が黄泉の国でも使えるようにと、一緒に埋葬したと考えられています。これは古墳時代に作られた「焼き物」で酒の器のようです。その時代が古いため「焼き物」の原点が濃縮して詰められています。表面の施しが釉薬ではなく、窯の中で舞い上がった灰が釉となって独特の雰囲気を醸しております。これは紛れも無く第一級のアート作品です。それをパソコンのネットに公開できることが現代社会を象徴しているような気がいたします。
photo: ヒラカ 推定約1600年前

2006-05-18


私のホームページにGoogleのロゴを勝手に貼り付けました。そのロゴを使用するにあたり、色々な使用条件が表示されていましたが、それを読んで理解するのも煩わしいので提供ロゴタイプを選んで試しに貼り付けてみたところ簡単に出来たので、リンク欄にグルーグル広告の意味も含めて暫らく公開していました。ある時(きょう18日のこと)、クーグルより送信があって、ロゴ使用にあたり承諾を許可しておりません、という通知が届きました。
やはり、と内心思ったのですが知的財産権保護の厳しいアメリカのことですから当然といえば当然です。そこいらの感覚ギャップの差があるのは確かでしょう。そのリアクションを貰ってから客観的に考えてみたのですが、私の個人的なホームページにGoogleロゴを添付し公開することによって、まったく事情を知らない第三者は私のページがGoogleによって提供されている、と思われる可能性もあります。そうなると私の書いた記事内容如何では責任問題がGoogleにも波及することだって考えられるわけです。
早速、Google ロゴを削除しました。
インターネットのバーチャル世界は架空現実社会の出来事である、というこれまでの歴史上に存在しなかった空間ですが、その裏側でPCを操作しているのは生身の人間です。そして、この架空世界がいま一人歩きして将来の世界経済を担う救世主になると注目されています。その覇者となるべく最先端企業がGoogleであると洞察力のある人間は評価しているようです。その将来的価値がどれくらい高いのか私は知る由もありません。

 photo: 納曽利 面の模写

インターネット上には色々なタイプのフリーソフトが出回っておりますが、中でもOSメーカーが提供する「体験版」は高価なソフトを期間限定で使うことができます。私も何度か使って重宝しましたが30日間限定というのがミソです。一番多いのがphotoソフトですが、日本の新聞・テレビと同じで各社レイアウトの違いはありますが中味は殆ど同じといって良いでしょう。
あるとき、大メーカーのphotoソフト「お試し版30日限定」を使ってました。使い始めは不慣れで思うように作動しませんが、次第に勝手が判るとソフトの良さが判ってきます。その頃になると期間終了の日数が迫ってきます。自分で撮った写真の背景処理をソフトを使って余計な部分を消して思い通りの写真が出来ました。コレは凄いソフトだ、と二つ目の写真を同じように編集しようとしたところ「期限切れ」で、その肝心の編集が出来なくなりました。期間終了で総てのOSが消えたのではなく、どうでもいい新聞テレビ的なバージョンは残っていましたが、どうでもいいありきたりのソフトですから、どうでもいいのです。ここで30日期間限定の有用性が発揮されるのです。「どうですか、うちのソフトは他とは違います。何だったらお金を出して買ってみては?」という企業戦略がミエミエです。ですから戦略に引っかからないように買いません。
多くのユーザーがそうであるようにパソコン内ネットで遊んでいることは趣味であって、そこから利益を得られません。従って高価なソフトを買うだけのメリットはないのです。だからフリーソフトの家捜しが始まるのです。それから或る事を考えましたがソフト信託というのが考えられないでしょうかね。海賊版ではなくて正規のルートで高額ソフトを何人かで分割購入し共有して使う。かりに10万円のソフトだったら10人で一人1万円、100人だったら1000円で済みます。そんなシステムがどこかにないものでしょうか。
換骨奪胎、期間限定無料体験ソフトを使ってそんなことを思いました。カンコツダッタイとは、骨を換え、胎を奪って、それに成り済ますことのようですが、どうもこの語源は古代中国戦乱中から出たように思われます。胎を奪うとは敵対する血族の芽を完全に摘むことですから凄惨です。それは余り関係ない話しですが、無料限定ソフトを使い出来上がった写真やイラスト作品は保存して自分の手元に残りますが、それを処理した「機械」は手元にない。言い換えると魂だけがフワフワ浮いている状態で本体のカラダは消滅している。
「一体、この状態をどうしてくれるんだい」とOSメーカーに問い合わせても、「当社製品は信頼をもってご提供させて頂いております」、と丁重な挨拶で交わされるのがオチ、か?