2006-11-14

MYとYOUの続き 2


国内ネット事情のゴタゴタは暫く静観するとして、アメリカで今で起こっているITゴタゴタ事情を覗いてみたら、のっぴきならぬ問題が生じていた。

アメリカ本土でIT 関連の何やら、騒々しい話題が浮上しているらしい。と、思っていた所だったが、その情報をつい最近パソコンから取得した。それが「マイスペース」と「ユーチューブ」だった。その何れの名も日本国内ではまったく感知されていない。事はすでに昨年から始まっていたが、新興ネット産業であるから小さな芽が1日にして巨人になる、というのがこの世界だ。その巨人になるか、ならないか、の狭間がマイスペースとユーチューブ、らしい。
その後、情報を漁っていたところ、ユーチューブをグーグルが買収した、というニュースが目に留まった。新興IT 企業が更に新しい新興ITサイトを吸収するという目まぐるしい買収劇が展開している。
その対抗するマイスペースは、ハーバード大の学生らが始めたが、それを買収したのがメディア王「ルパード・マードック」である。いずれも動画を売り物にしているが、先鞭の動画サイトから「とんびが油揚げ」の図式で、獲物をさらったとして話題沸騰している。
獲物を奪った、とか奪わないとか、IT世界では日常茶飯事の出来事で、したたかなものが勝つ、というのが方程式の答えだ。
これまでのネット画面は、動画ではなくデジカメ写真だった。パソコンのアプリケーションソフトも、掃いて捨てるほどデジカメソフトが乱立しているが、どんなに競っても静止画は動かない。ユーザーはそれに飽きた。だから動画にユーザーが移行するのは当然だった。
新時代の幕開けが始まった。デジカメはもう古い。画像は動くのが当たり前、というネット産業が開幕した証である。
webpageが世界的に市民権を得ている。既存のメディアと、それと一心同体だった巨大企業も、そのwebpageを無視することが出来ない存在として、いま会議中である。
そこに目をつけたユーチューブ、それを買収したグーグルが、この先どんなシチュエーションをみせるのか楽しみだ。このサイトブロガー、先進的に動画をいち早く導入しないと、古いもの色あせたブログとしてユーザーは散逸する。

2006-11-12

MY と YOU と口コミマーケティング 1


我が家に居ながらにして「世界が見える」のがインターネットのすごさだが、今使っているこのパソコンを通して、ネット上に群がる先端ベンチャーの戦いがゲームのように展開している。

その前に、国内ネット事情ニュースを拾ってみるとネットパソコントラブルが予想外の反響で話題に上っていた。

今年の11月3日のテレビニュース、或る女子大生がパソコンを使って「口コミマーケティング」している様子を密着取材した映像が全国に流された。私もそれを見ていた。

世界的に拡大増殖しているブログ、私も、このサイトのほか3つのブログを持っている。その個人ブログに潜入し背後で操るサイトが組織化して、注文主企業の商品を紹介販売するという、素人商いを装った巧妙な手口が、番組で明かされた。そのニュースは「暴露モノ」ではなく新しいスタイルのネットセールスとして紹介したはずだった。カメラ取材で撮ってるほうも、撮られるほうも、極普通のテレビ取材として視聴者も違和感はなかった。ただ、その内容が女子大生の片手間ネット商売が、果たして正当行為か、という疑問が無いわけではなかった。私のブログで、そのような批判的な記事を書き込んだが、該当するそのサイトに直接書き込んだわけではない。
そんなことをすっかり忘れていたその後(11/12日)、ネットである項目(マイスペース)を検索していたら、その事件がネットで社会問題化していることが判った。なるほど、私と同様に感じている人が外にもいたのか、と記事を読んでみた。
その女子大生は勿論、商品紹介を依頼した企業まで非難の声が届き、大騒動でブログ大炎上と書かれている。ネット商品販売の数は桁が一つ多いが、その正反対の不祥事も加速して非難される。
おそらく、そのPR商品は汚名が着せられ販売促進どころか、撤退に追い込まれるだろう。当該女子大生は、すでにテレビで顔も割れているし、これから先の動向が気になる。これも同様に個人であっても社会の矛先は容赦なく向けられる。
いい気になると足元をすくわれる、極楽の先に地獄、など昔から云われて来た風刺語がネット世界にも当てはまることを示した。とくに日本のブログは匿名性が高く、姿を現さない利点で必要以上に攻め立てる傾向がある。
この事件は、既存メディアのテレビが新興ネット産業をニュース紹介したと言うところに面白みがあり、そこから発生した問題、トラブルをどのように処理するか、という新たなジャンルを見せ付けた。
しばらく尾を引きそうな、小さくてもウルサイ事件だった。
(マイスペース、ユーチューブの件は事項に送る

2006-11-10

新しいブログ


このブロガー、ニュータイプに変更中とのことで、中々スムーズに書き込みが出来ない。アメリカ選挙ではないが与党共和党が崩れ始め、大統領の右大臣としての国防長官ラムズフェルドが更迭された。変革を望んでの選挙結果がそうさせたと報道されている。

ITの世界も激震さなか、Google猛追に各社一斉の反撃が始まった。MicrosoftもB会長が現役引退して新規一転というところだろうか。他社もたたみ掛けるように新バージョンを発表している。
それを傍観しているのは日本のIT産業界。いつの時代も日和見主義、隣の動向を逐一チェックして、そして自分の出方を覗う。これま、まるで江戸時代の外様大名とんなら変わりない。
それだけではない。政治の世界でも未修履問題で大臣が朝令暮改を地で演じている。日本は今でも鎖国中なのか。

2006-11-09

虫の造形

Posted by Picasa
photo:鮮やかなオレンジ色
 虫 のオブジェ

前項で紹介したフォトコレクションの虫。体長約1.5センチ程度の大きさで全体がオレンジで黒の斑点模様。その斑点の形も全部異なり幾何学形の図が左右対称に並んでいる。古代日本の図柄に左右対称形であらわす様式があった。奈良正倉院の宝物の一つにそれがある。
動物唐花文を基調とた唐式の図柄で、花葉丸文と花角鹿をあしらった織物で、その原型を辿ると古代ペルシャに行き着く。古代の交易がシルクロードを通って行われていた証明である。
今日、アートを含めて描く・奏でる、などの表現手段は家庭のパソコン1台でぼほ表現可能だ。もともとパソコンの映像技術は映画のノウハウを基にして作られている。同様にあらゆるジャンルの技術は人類の叡智を蓄積して出来上がっており、それが粘土板から紙へと、紙は印刷物へと変わり、さらに現代ではその情報はパソコンにインプットされ、巨大な輪転機を回さずとも情報がダイレクトに個人へと配信される。
方法は変わっても情報のソースは昔と大差なく、「隣の家に子猫が生まれた」程度の内容である。
デジカメで撮ったオレンジ色の虫、左右対称の文様は人間が図柄を描く以前から、個体の遺伝子にその情報が蓄積されていた。それをコピーしたのが人間の知恵で、今で言う著作権侵害という厄介な問題もなかった。それでも動植物のDNAが企業によって登録され、生物個体の先天的情報を寡占するという、どうにもならない時代に入ってしまった。

2006-11-05

訪問者カマキリ

Posted by Picasaphoto:テラスフレームの蟷螂・カマキリ

朝から上空は晴れ上がり、気持ちの良い秋の休日である。
ブラインドの影に映ったシルエットが、妙に意味有り気でデジカメした。
虫の形は、とても奇異な容姿だが人間が作ったロボットの能力を遥かに凌ぐ性能をもつ。カマキリのスタイル、どうしてそんな形なのか不思議でしょうがない。それだけに魅力的でモーニング正装の原型を人間は、このカマキリから頂いた、と思えてならない。
私のデジカメコレクションに、もう一つ昆虫の「美景」が収まっている。名は知らないが体色が素晴らしい。印象派のモデルにしたいような色彩感覚で、アニメーション的でもあり、「ロゴ」にしたくなるような天才的なカラーセンスである。
かのピカソが土着アフリカ民族の宗教的意匠を基に絵を描いたのは有名な話だ。そんなことを色々考えてみれば、人間世界の古代生活様式は動植物から文様を学び、配色は自然界の掟から学んだに違いない。
カマキリの体型など、飛びぬけて芸術的である。

2006-10-22

秋の色 やがて冬

Posted by Picasa photo:蔦の実


日本全国、農作物秋の収穫が終わり、一年の五穀豊穣の神事を済ませると秋の気配が一層強まり、鮮やかな紅葉が濃く景色を染める。真紅に近い蔦の実が目に留まり写真を撮る。色、造形、躍動感、その他もろもろを観察しても自然界に生きる植物のスタイルに打ちのめされる。どのアングルをとっても完成形で、人間の浅学など足元にも及ばない。いったい誰が造形したのか? カミというには抽象的すぎる。

日常の人間世界に戻れば俗世の話題に事欠かない。たまたま覗いた新聞にある記事が載っていた。その前に新聞について一言。
新聞は今月限りで契約をとめる。マスメディアの代名詞である新聞紙面が陳腐になってきた。簡単に云って読みづらい、前後左右、縦横無尽、どの方向から読んでもアットランダムな記事が掲載されていて一貫性に欠ける。それは現テレビでも同じで、スポンサー付き番組CMを強制的に見せられると「意識剥離」状態に追いやられる。それが資本主義のセオリーというなら、人間白痴を助長しているようなものだ。何れにせよ新聞・テレビ世界に明日は「無い」のだから、このまま放置しておいたほうがよい。
その間隙、というかメディアの王道を歩み始めているIT産業の躍進が著しい。21日付の読売に「グーグル快走」という記事があった。純利益と売上高過去最高とう見出しである。このホームページサイト提供がGoo gleというわけでもないが、その営業成績にケチを付ける理由はない。
駆け出しのころ、「ヤフー」のヒサシを借りて商売に悪戦苦闘していたグーグルが、その母屋を乗っ取る勢いでヤフーを駆逐している様子を新聞がデータを示して解説している。「検索連動型広告で力の差」、というがバナー広告はすでに過去の媒体であり、世界主要企業がパソコンを導入した時代の遺物であり、いまネット世界は企業の宝刀ではなくパーソナルユーザーの時代へと入れ替わった。
その時代にピタリとリンクしたのがグーグルであり、まして世界のあらゆる生活形態が激変した今日、「混沌」に向かいつつある社会に立ち向かうためにインターネットが、その切り札になり得るか、という岐路に立っている。そのバックアップの立役者がアメリカであり官主導型の弊害から離脱し民主導へと移行しようとする、かつて歴史上に存在しなかった政治手法をオーガナイズしようとしている。
わが日本は、そのよき理解者である。

2006-09-22

国旗掲揚と国歌斉唱について

これまで隔靴掻痒として、その課題に触れたくない日本人的問題を裁判所が法律的な見解を示した。判決結果を先に云えば東京都の敗訴。
東京地裁難波孝一裁判長の下した判決、
「通達や都教委の指導は思想良心の自由を保障した憲法に違反する」、
と判決を言い渡した。
その解釈により起立、国歌斉唱の義務はない、処分も出来ないと判決を下した。
社会的見解、また感情論でいうなら肯定派否定派が拮抗する。
それは2003年10月23日に東京都が都教職員に対して発布した通達に起因する。相手は国家的思想に反発する日教組。
素朴な疑問、何故だ? 何のための叛旗なのか、その理由が理解できない。難波孝一裁判長の朗読によれば、「日の丸や君が代について、明治時代から終戦まで皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられ国旗、国歌と規定された現在でも、国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」、と判断している。
この「中立的立場」とは、なにを、何処を基準にしているのか私には判らない。日本の歴史が確立して約1500年経過して、その時間内で「中立的」を判断するなら僅か一時の明治と軍国主義がどの程度のパーセントを占めるのか甚だ疑問だ。
この問題は、都の教職員を処分したことの裁定についての問題に限定されることなく、日本国民に対する国家意識の忠誠意識に触れる重要な案件にもかかわらず、東京地裁の判決は余りにも偏っていたと云わざるを得ない。その一方で、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要で式典に国旗を揚げ国歌を斉唱させることは有意義、と生徒に強要することを是認している。
子供には大切とし、教える側の教師には、その正反対論旨を言い渡すことは理論破綻しているのではないか。
日本の見せ掛けの「民主主義」、いまだ未成熟の民主思想を、この判決は見事に具現した。

2006-09-17

1200年前の古語拾遺

Posted by Picasa photo:神輿大宮の鳳凰

9月13日に行われた秋祭り、
一連の写真で紹介した。
日本全国、この季節になると
祭り色で染められる。秋の
五穀豊穣を祈念して神に感謝し、
それを様々な形で表現する。
長い歴史の中で伝承された
個々の祭スタイルは同じものが
二つとない。

玉前神社の祭りは「十二社祭り」と称して、古来より伝えられる神々の縁者が一堂に会する祭りとして継承されてきた。
それは1200年前の古語拾遺とリンクする。何を大袈裟に、恣意的な誇大妄想、などと云うなかれ。そうしたことが平然と行われるのが、この日本であり神の国、歴史の国なのである。

「古語拾遺」は807年に著され、古事記・日本書紀に並ぶ古代の名著である。阿波の国、忌部一族が黒潮に乗って安房の国に移住し祖先神「太玉命」を奉ったのが現在の安房神社(千葉県安房)である。「古語拾遺」は、その忌部一族の領袖「斎部広成」が「古語の遺りたるを拾ふ」として、朝廷祭祀を仕切る氏族の権威をかけて撰上した書である。
古代の千葉県は、総之国と云われ、コウゾ栽培に適していた地勢であったことが文献で判る。おそらく忌部一族は、 その技術を携えて安房の国に上陸し、様々な先進文化を東国にもたらしたと思われる。そしてごく当然のように祭祀に関連する一式を忌部一族が担っていた。
丁度それとリンクするように1200年祭発祥の記述が隣町睦沢の鵜羽神社の伝記に遺っていた。その内容は神話に近い。
「海中に光る玉あり、これは神の化身である。時の右大臣『藤原百川』、それを上奏す。天皇勅を発し、六社を建立八個の玉を分け納めた」、というのが1200年前の伝記である。それを唯一の手掛かりとして上総の国玉前神社の1200年祭は再現された。
写真は1200年祭に出御した神輿の頂を飾る見事な鳳凰の顔である。

2006-09-14

1200年の祭り

photo:玉前神社神輿 大宮    

2006-09-09

祭りの季節


古来より日本は稲作の国として生活が成り立っていた。日本全国どこに行っても水田があり、田植えと稲刈りは日本の文化といっても云い。米文化から様々な生活形態も派生し、中でも藁を使った生活の道具が作られた。弥生時代からの稲作とされているから、約2000年の歴史がある。
現在の生活スタイルはすっかり変わって、およそ稲にまつわる生活形式は皆無に等しく、あるとすれば神社で行われる祭りの時に見られる縄のシメ飾りくらいだ。縄はもともと稲で作られており、稲刈りの終わった後の余剰の稲を様々な形に変えて生活の道具とした。
そして秋になると稲刈りをして米を収穫する。今年出来た穀物の収穫を感謝して神に報告する。それが秋祭りとして今でも伝承されている。
私の住む町の神社で、その祭りが9月13日に行われ、同時に神社開祖1200年という節目を迎え、いまその準備をしている最中である。

2006-09-03

縄文土器2

photo: 縄文土器 壷

青森県弘前市十腰内遺跡出土(重文)

「東京国立博物館」ホームページ提供


東京国立博物館ホームページの解説

「球形の胴部に細長い筒状の口頸部に付いた黒色の壷。胴部上半の相対する位置に土偶に似た人形が浮彫風に飾られている。また胴部の中央には磨消縄文帯二条がめぐり、処々に瘤状の突起が付けられる。これらの文様装飾は東北地方の後期縄文土器の特徴を示すものである」。

とてもモダンな、この「人形.ひとがた.装飾付壷」が縄文土器であることに驚きである。縄文後期年代は推定でも紀元前2000年から1000年、縄文土器の始まりは縄文時代草創期、前10000年からとされている。アーティスト・岡本太郎も絶賛した縄文中期の火焔式土器は特に知名度が高い。そして縄文後期に作られた「ひとがた壷」は、年代と地域差が絡んで洗練されたデザインに変化したように見受けられる。                                            特に感じたのは全体のバランスと朴とつ、さであった。ひとがたの文様と突起が何を意味するか不明だが、時代が下った弥生式土器になると装飾類が一切省かれる。この時代の土器制作は窯で焼くことはなく、野火の中に放置して約900度で焼いていたようだ。陶土も粗い粒子の混ざった原始的なもので、現地調達できるものを使っていたのだろう。弥生式土器になるとガラッとデザインが一変してしまうが、古墳時代の「ヒラカ」には縄文土器の作風を継いだものもある。備前焼きで知られる岡山には、古くから古備前という作風があったが、それが縄文土器と通じるものがある。

焼物は、その民族の性質を表わす形だが、縄文後期の4000年前から民族がどのように移動し文明を伝播また消滅を繰り返した変遷を知ることは殆ど不可能に近い。そして唯一の手がかりが姿かたちを留めた物理的証明の土器なのである。縄文土器と古墳時代の土器を比べてみれば時代差を抜きにして同じ場所、同じ時間で比較できる。そこからある程度の類推は可能である。

4000年前の、この縄文土器の壷は現代に残されている全部の焼物を隣に置いて眺めることが出来る。近代に作られた多くの焼物が、縄文の「ひとがた壷」を超えているものがあるだろうか。それだけ造形的に完成していると私は云いたいのだ。     



       

2006-09-01

縄文土器


 

      photo:縄文土器    
       
青森県木造町 
       亀ヶ岡遺跡出土
重文)




「東京国立博物館」
ホームページ  提供





2006-08-28

my folksong


photo:concert stage

8月27日 の日曜日、
コンサートがあり出掛けていった。
写真で判るように 1970年代の典型的なfolkスタイルである。

いまオヤジバンドが、にわかに復活して
ジャンルに限定することなく、若い頃、音楽を楽しんでいた団塊世代が、暇をもてあましてバンド再結成する話がテレビでも取り上げられている。
その中の一人、ではなかった私だが、同世代の仲間として同じ空気を吸って青春時代を過ごした現代のオヤジがスポットライトを浴びている。
もちろん今でもアマチュアミュージシャンとしての立場でステージに立っているが、社会的年齢的にも職場では要職にある。仕事のかたわら、時間を割いて練習に励んだ成果を発表した。
昨今の歌事情とは無縁で、「レコード」時代の曲ばかりのレパートリーだった。家庭からレコードが消えて久しくなるが、そんな時代の格差を感じさせるコンサートである。その定番とも云うべきフォークソングは団塊世代が健在のうちは、衰えることもないだろう。

2006-08-26

2006年8月26日 更新テスト


外装更新によるテスト入力です。

2006-08-21

拾得物

Posted by Picasa photo:蔓と野草

偶然にも見つけたこの写真?
というべきか、当然の結果として現れたというべきか、その判定に苦慮する。
というのは、もっか新パソコンと旧パソコンの交代時期で、データ転送をしているところだ。今のところ順調…、ではなくまったく進まない。いま悪戦苦闘している最中で今日もデータ収集して厄介なことが判った。
パソコンが、メモリが「read」になることができませんでした、という表示がされた。そのreadの意味すら理解できないで私には手の施しようが無い。まあいいだろう。パソコン相手だから、戦う、しかない。
それで次に写真編集のために「ピカサ」を呼び出し、外付けドライブから過去のデータを引き出し、さらに転送しようと"イジクッテ"いると、あろうことか私がこれまで蓄積した写真の隅から隅まで全部がぞろぞろ出てきた。おまけに、ITサイトのサンプル画像がワンサと表示された。そのトータル数が膨大でメガ容量が気になった。
写真コンテンツの「ピカサ」は、隠れた画像を引き出す能力があり、使い始めのころ感心したが改めて威力を知ることとなった。このプログラムはGoogle提供だがプログラムを開発したのは「ビル・グロス」である。そのグロスは現在主流となっているキーワード広告を考えたIT界の異端児で次に何を発表するか業界でも注目されている人物だ。そのグロスが開発した「ピカサ」をGoogleが買った。
ここに掲載した写真は、6月ころ撮った写真だが、出来が良くないと判断して削除したはずだった。だから自分でもすっかり記憶の一片もなかった。甦った写真を観「中々良い写真だ」と、日の目を見ることとなった。
規模の大小の差はあるが、「すべての叡智を整理し尽す」というGoogleの表題と、死蔵されていた自分の「ピカサ」写真が甦ったことが同じカテゴリーで起こっている、と脳の思考が判断した。ということは、「ペイジ、ブリン」と「ビル・グロス」は方法論は違っても同じレール上を走っているのだ、と思った
いつの時代も主役と脇役があり、それは個人が選べるものではなく必然的に、また結果的にそうなってしまうのが現実世界のようだ。
1900年代初頭に始まった科学の大変革、その時代の主役「トーマス・エジソン」、脇役の「ニコラ・テスラ」、そのテスラにはなりたくなかった、と「ラリー・ペイジ」が後に語っているのを思い出した。

2006-08-19

カイカイキキ「奇々怪々」とダ・ヴィンチ

Posted by Picasaphoto:里芋の葉


村上隆の芸術起業論を一通り読み終えて思ったことがあった。
自身の語るエピソードの中には日本人が羨望の眼差しでしか捉えない世界のビッグネームが随所に出るが、その中でも「ルイ・ヴィトン」が際立って印象に残った。世界的ブランドの代名詞のようなルイ・ヴィトンとコラボレーションし、尚且つ営業でも成果を残した、という手腕にムラカミの辣腕ぶりを証明している。
これまで日本人が、その羨望とする「核心に触れた」という歴史が過去にあっただろうか。欧米追随を規範として日々邁進してきた日本人が、現在も追っているのは欧米であり、追いついている筈のオウベイは蜃気楼のように逃げ惑う。それは追いかける日本人の姿勢の問題であり、蜃気楼にしてしまっているのは日本人自身であり、そのことを誰も指摘しないこと自体が日本的なのである。
それを本気で実証したのが彼であり、「だったら翻訳してみろよ」と妬み論者に問いかけるのだ。相変わらず悪しき因習で認めようとしない「権威者」が支配する美術界は村上隆を異端と見ているのだろう。だったら世界から見た日本自体が異端である。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」、今となっては誰も話題にしないが、西洋絵画の巨匠そのレオナルド・ダ・ヴィンチと手を組んだ唯一の日本人が村上隆ではなかったのか。世界ブランドのルイ・ヴィトンは西欧歴史の中でも「ギルド」制度を匂わせる老舗企業である。そうしたヨーロッパの保守的伝統を継承した企業と日本の伝統文化を素地にした村上アートがコラボレーションしたことが革新的である。
判っていながら誰もアクションを起こさなかった、だから自分がした、と村上隆は聡明な理論を展開する権威者に痛烈なボディーブローを見舞った。それでも現実世界、日本のアートシーンはテコても動かないだろう。
下積み時代にコンビニで売れ残った弁当で食い繋いだ村上隆を「師」を仰ぐ美術界の長老が、この日本に存在するとは絶対に思えない。

2006-08-15

村上隆 芸術起業論を読んで

念願の「芸術起業論」が8月14日、手に入った。本の裏を覘いて人気の度合いを知る。
2006年6月25日第一刷、8月10日第5刷発行と明記してあるから、出来上がったばかりの第五刷が届いたことになる。ロット部数にもよるが、この数字から推測すれば売れに売れている。最近の新初刊では異例の売れ筋と思った。本の内容がそれを物語っている。
おせっかいに解説すれば、この本はアートを目指す若い人たちへのメッセージマニュアル書である。そして通常日本で出来上がった既成概念打破の理論書でもある。
「web進化論」の中で梅田氏が力説していたエスタブリッシュメントたちへの痛烈批判、それと同次元のアンチテーゼである。日本の社会を支配している目に見えぬ思想、その根拠がどこから発生しているのか、という設問自体にも応えられない彼らに対する反逆であり追求、そして革命的なアクションである。生半可な青臭い絵空事を云うのではなく実践して成果を挙げリアル社会で稼動している姿を何人も阻止することができない。当然のようにエスタブリッシュメント層には、そのことが何を意味しているのか、それすら理解できないだろう。かの村上隆は、そういう人たちの理不尽な要求をすべてクリアーして今のスタンスを築いた。本は、そのことを淡々と語っている。
ただし、この本が若きアーティストにとってマニュアルではあるが、それをなぞっているのであれば真のアーティストになれない、ということも村上隆は教えている。
二人目のアンディーウォーフォールを誰も評価しない、ということを暗黙のうちに語っているのが印象的であった。

2006-08-13

古典的絵画

                  













Posted by Picasa photo:蓮沼村五所神社の絵巻
8月1日に参拝した五所神社 には、目もくらむばかりの装飾が至る所に配されていた。
普段は人気もなく静まり返っている境内、辺りの田園風景と、その豪華絢爛たる社殿内の見事な彫刻と絵画群がマッチしない。
絵を見て判る通り、それは朝廷絵図であり現代的表現で云うなら都会的である。

2006年のいま、インターネットデジタル社会が既存の商業形態を凌駕しようとしている。それはごく限定的な出来事ではあるにせよ、時代の大きな潮流はやがて本流となって世界を覆い尽くすだろう。商業資本競争の露骨な戦いは大規模に進行して私の住む町でも億単位の事業展開が進んでタンボのど真ん中に量販店がオープンした。そのトリミング風景は五所神社の朝廷絵巻図とまったく同等である。
そして、そのどちらに価値があるのか、という問いは無意味でありながら百年、二百年後の形骸化した概念と残された質的物体の持つ意味が、人々に訴えかけるだろう。
何がいま必要とされそして大切であるか、その時代に生きている人間は自ら盲目である。

雷雨のあと

Posted by Picasa photo:8月12日の夕焼け

8月12日は千葉県に雷雨注意報が出て断続的に雷と雨が激しく停電もあった。その夕方の空は絵に描いたような景色が展開してその時思わず撮った写真。

2006-08-12

花火

Posted by Picasa photo:夜空の花火











8月5日、私の住む町の海岸で夜、花火が打ち上げられた。家の二階から撮った写真は2キロ先の花火のため鮮明画像とはいかない。
それでも夏の風物詩として雰囲気は出ているようだ。あちらこちらで盆踊りも開催され、13日より盆に入る。
盆が過ぎると残暑厳しく暑い日が続くが、日照時間は確実に短くなっている。

私の新パソコンもようやく起動し始めた。まだまだ入力データの整理をしていないが「温故知新」ではないが、旧きを捨て新しきを開拓する必要が沢山ある。旧パソコンのアプリケーションソフトと新パソコンのソフトに互換性がなく作ったデータも新では使えない。
春華秋実」、春の花と秋の実いずれも両立することが大切だと故事は教えるが、
咲いた花から簡単には果実は実らないものと、軽いため息が漏れる。

2006-08-09

始動

Posted by Picasa photo:sisサンプル画像

画像はパソコンに内臓されている
sis社のサンプル画像を拝借した。
pcリニューアルのためストックした
オリジナル画像がない。旧パソコン
データ引越しが済んでいない。
外は雨、今日あたり構内LANで引越し
予定…。



村上隆「芸術起業論」は以前、このページで紹介した。だからといって私がその関係者だとか出版社の回し者広告屋であるとか、そうしたものには一切無関係。
再び「村上隆」を取り上げたのには訳があった。
私のサイトページにはアドセンス広告が張られていて記事内容をアルゴリズムのクロークが検索して適切な広告を掲示する。前回、村上隆を扱ったときクローラーは正直に村上隆の名を載せ、関連事業のサイト広告が張られた。私はかなり前から彼を知っていたが、こうした形で村上隆の名がサイトの「向こう側」に顔を覗かせるようになると、これはメジャーになった証である。
彼は「LDサイト」にウェブページを展開している。今回の芸術起業論について本人がコメントを出しているので興味のある方は覗いてみるといい。ページの名は奇々怪々をもじって「カイカイキキ」(私のスイソク)と云う。彼らしいネーミングと思った。すでに著名人となった人物であるが故に堀江氏とも交流があるのだろう。
前回の紹介は7月16日に読売で書籍紹介されていたものを題材にした。そして今回、8月8日の千葉日報に同様な形で芸術起業論の書籍が紹介されたのである。オヤオヤ、と訝った。私がなぜそう思ったかを説明する必要がある。それは批判でもイチャモンでも中傷でもない。むしろ新聞2紙が紹介するほど注目されている本という証明でもある。問題は、その本が手に入らないということだ。ソールドアウト状態で店頭にない。私がある書店に注文して受け取りに行くと「入荷できなくキャンセル待ち」と云われた。そんな人気のある本がキャンセルされる訳がない。
そんな中で再度新聞が紹介していたので「オヤオヤ」と感じたのである。
同じ村上姓で「村上龍」が作家として活躍しているが、彼のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」が世に出回ったとき同じ現象が起きた。衝撃作として話題をさらい社会現象まで起し老いも若きも「限りなく」というフレーズを連呼した。
今回の書籍は本の作家ではなくアート作家の書いた本である。いま出版界の低迷が云われている。アマゾン手法ではなく書き手の問題だ。歴史ある文学賞をとったからといって優れた内容、それが賞賛に値するものではないということだ。書き手使い捨て時代で作家本人の気質作風を選ぶのではなく「タイトル」と特異性また超日常性を長編にしてダラダラ書き綴る。読めない、読まない。
その一方で「芸術起業論」が予想に反して売れ過ぎている。第2刷りを待たなければ品がない状態だ。その現象は何を物語っているのだろうか。私はその内容にあると思う。そのことを的確に著わした評論がある。千葉日報に紹介された記事で美術評論家建畠哲氏の論評を一部引用して解いてみたい。
「日本のアート界の閉鎖的なモラルに甘んじてきた我々の方であって彼自身は国際的なアートシーンは歴然と欧米のスタンダードが支配しているという冷徹な現実を、そのスタンダードにおける日本のアーティストとしては例外的な勝利者の立場から、ごくまっとうに説いているだけのことなのだ」、と。これは即今の出版界にも当てはまる。
ビジネスマン、マネジメントセンスがなければ芸術制作を続けることができない・
欧米美術史のルールを読み解いた上で、そのルールを壊し、なおかつ再構築するに足る追加ルールを構築しなければならない・、ニューヨークやパリで劇的な反響を呼ぶことに成功する。
評論家絶賛の賛辞を読んで「芸術起業論」を益々読みたくなる。しかしその本はいま店頭に並んでいない。こうした現象こそがデジタル化社会と戦うアナログ世界に絶対必要な必須条件なのである。

2006-08-08

ただいま調整中…

新しいパソコンをセットアップして4日が経過した。今回、ディスプレートをセパレートしたので、その調整に時間がかかった。まだデータの引越し転送が済んでいない。構内ネットワークLAN で転送すると時間が省けるとマニュアルにあったので検討しているが、これも始めてのことで勝手が判らない。取り敢えずクロスケーブルは用意したが、パソコン新旧転送の設定がマニュアルを読んだだけでは理解できない。これも試行錯誤してやってみるしかない。
いまのところ、インターネットから引き出した情報でパソコン操作閲覧しているが、新しい現在のパソコンには過去のデータは殆ど無い状態で必要最小限のデータだけを移行して書き加えている。このブログも、そんな情況で書き込んでいる。
自分で管理しているページのデータはサイトサーバーに記録されている、ということを考えてみると、これはネット通信の最大の利点だと感心した。
その全部がいいことばかりではなく、不必要な見たくも無い情報が相変わらず配信され削除する手間も大変だ。個人データが相手のサーバーに保管されているということは、サイト側として「よからぬ」情報をチェックし制限することもしばしばで、プライバシーが完全に保護されているとは云い難いが世界の安全を考える上ではやむ得ない。だったら、ついでに「低俗スパム」撃退ソフト無料配布、をしてくれたらいいだろう、と思うが大手バンクの資金がノンバンクに回り、自己破産者を生み出すシステムに、それは近い。世の中、つねに物事は表裏一体で善悪が紙一重で成り立つ。邪悪にならぬよう努めたいと思う。

2006-08-04

パソコン初期設定と新規開始

8月4日午後6時25分に宅急便でパソコンディスプレーが配送されてきた。本体は既に購入してあり、ディスプレーを待つばかりであった。これからセッテング開始。長い期間のイライラをこれで解消できる。

2006-08-01

神話のスタイル

8月1日、銚子の銚港神社で祭があった。雅楽演奏の依頼で祭の式典に欠かせない雅楽の管弦と朝日舞を奉納してきた帰り道、なにげなく寄った蓮沼の五所神社に、その絵はあった。
タイトルも謂われも作者も知れぬ、その絵は推定でも300年は経っているであろうと思われるにもかかわらず、まったく鮮度を失うことなく神社の天井に何気なく飾ってあった。明らかに神話世界を描いた物語で、真ん中の女は天照大神である。配下にはホンダワケノミコト、アメノコヤネノミコトなどの主要神を配して天空世界の神々を描いている。これほどリアルに描かれた神話絵画をこれまで観たことがなかった。まして今日まで鮮明な色彩をとどめ、また作者の筆遣いまでが克明に残っている。その筆のタッチは江戸時代前期の傑出した絵師を輩出した時代の痕跡が色濃く現れている。これは歴史的名画と直感した。そのはずで、この五所神社は昭和28年、千葉県重要文化財に指定されていた。


場所 「五所神社」 千葉県山武郡蓮沼村殿台鎮座  宮司 朝日典男

2006-07-31

パソコンの内部機能

私のパソコン不調が2ヶ月も続き、その間あらゆるサポートとパソコン診断もしてもらったが回復しないまま今日に至っている。
このブログを書くにも、あちらこちら経由しながら接続している状態だ。これではストレスが溜まるばかりで、まして回復見込みがないとなれば 新調するしかない。しがない極普通の生活者にとって懐に余裕があるわけではないが、買うしかない、と決断した。そして機種選定を始めた。
パソコンデータの内容を表示する画面ディスプレー機能でグラフィックアクセラレータというのがある。今回初めて知ったパソコン内のシークレット部分だ。一般的には知ることの無いパソコン内ネットワークの回路で「そんなものが存在してたんだ」、という思いと、パソコン配線の複雑さを思い知らされた。大昔、回線セットするのにコンピュータはもともと人間が手でジャック挿入していたテレビ放映を思い出した。それがいま極小廉価のパーソナルになったのだから当然複雑回路になる。それで画面表示のアクセラレータに関してグーグル検索で情報を集めた。さすがにパソコンインターネットの凄さにも感心してしまう。画面サイズがアカデミー(何処のアカデミーか?)によって決められている。
映画スクリーンのサイズが基本にあるようでスタンダードサイズが1:1.37で、テレビ画面がそれに倣っている。同様な基準で音楽記録のCD、MDの時間長さがあって、MDのサイズが何故74分というハンパな時間であるか、という設定は長時間クラシック一曲を入力するのに相当の時間として決め、MDもそれに併せてある、という話が或る本に書いてあった。
ビスタ・サイズ1:1.66はvistavisionと云い、パラマウント映画が開発したvistavisionカメラを用い、それを一次二次加工してポジフィルムに焼付けするという手の込んだ操作で映画時代を作った。サイズは二通りあってヨーロッパビスタとアメリカビスタがある。日本映画はアメリカビスタである。
パソコン画面はテレビと同サイズ仕様に出来ている。表示の目安としてGAその頭にv、sv、 x、 sx、 uxなどが表示され、それによってサイズが表される。標準サイズ、17型XGA1024×768ドットということになる。アクセラレータについて他のサイトを覗いてみるとマニアの方が投稿していた記事を読んでみると
「マザーボートに付いてない機能を補う。拡張カードの選び方について」とマニアックな文が載っていた。それは私にとっての不可侵領域で、どうせ私が読んでもまったく理解出来ない。

2006-07-28

1億円、歌川広重












Posted by Picasaphoto:歌川広重 甲州御獄道 千葉市美術館提供・千葉日報

広重の写生帳がアメリカで80年ぶりに発見されたと千葉日報で7月27日報道されている。 千葉市美術館で9月に初公開、という案内で日本絵画研究者、そしてマニアにとっては垂涎の企画となる。
江戸後期の浮世絵師本名「安藤」は歌川豊広に師事し、その師匠を超えて後世に名を残した浮世絵師である。

広重(1797-1858)の作風は江戸時代を代表する作家として知らないものはいないが、その功績はむしろ海外で評価され、印象派ゴッホに多大な影響を与えた、という逸話は余りにも有名な話しである。広重作による「名所江戸百景」が2002年ロンドンのオークションで1億円で落札されている。
日本の現代美術アートティスト村上隆の作品が同じく1億円の値がついて話題となったが、絵画嗜好のジャンル別からすれば、まったく別世界であるが金銭換算だけに限定すれば欲しいと思ったクライアントの欲求事情であり、主観的判断に1億円という値段を付けるのに誰も文句はつけられない。
江戸時代の絵師には優れたアーティストが沢山いるが、絵描きの基本である写生を誰よりも多く描いた作者ほど比例して知名度も高い。
私が所有している「北斎漫画」(岩崎美術社)には北斎のスケッチ数万点が載っており、目にしたもの全部をスケッチしたのではないかと思わせる観察力である。
いまデジタル社会でパソコンで殆どの対象が表現可能である。私もつい最近イラスト用のタブレットを買ってパソコンでイラストを描いているが、自分が描くというよりその90パーセントが機械の恩恵に載っている。とてもじゃないが、北斎のスケッチ一枚を描くに至らない。はたして、そんなものに頼っていていいのだろうか、これがオリジナル作品なのだろうか、という疑心暗鬼はいつも抱いているが、それが時代なのだという理屈をつけて納得させている。これから後、百年経過して私の絵があるところから発見されて、デジタル絵画の名作(そんなことが起こるわけはない)発見ということにでもなったら、その時代背景のインフラを分析するだろうか。広重、北斎の時代の生活習慣を我々はまったく知らない。

2006-07-27

シルクロードの遺産

 アフガニスタン中部バーミヤンでペルシャ神話の霊獣「シームルグ」と推定される絵柄を確認したと、文化財研究所より25日に発表された。
霊獣絵柄が発見されたのはアフガン旧政権タリバンが破壊した東西大仏立像跡の間にある石窟内だった。
天井の一部を区切る、縦約6センチ、横約45センチの梁の中央部に描かれてあった。鳥のような鋭いくちばしに獅子のような胴体、翼があり、牛と向き合っている図のようだ。
新聞にはその白黒写真が載っているが肉眼では識別不能だ。説明によると、
中央のペルシャ神話の霊獣「シームルグ」、その右側にはガンダーラ風の唐草模様、左側には牛が描かれてると説明している。
重要なペルシャ神話の霊獣シームルグが読み取れないのが残念だが、唐草模様はシルクロードより伝わる古来より普遍的な図柄であり、また牛は地中海
沿岸に広がる古代文明の神格化された象徴的シンボルとして、ギリシア神話にも登場する。そのことでも判るように、小アジアよりシルクロード経由で広範囲に情報が伝播されたことが判る。
東西文明融合の証として、霊獣シームルグは貴重な文化遺産である。

2006-07-26

カソウ・ショウテン・ガイ


Posted by Picasaphoto:1200年祭logoマーク

仮想商店街、とはネット上でのバーチャル商取引を云うが、カソウショウテン街と表記されると月の上で売買取引をしているようで落ち着かない。
ポータルサイト、アマゾンが月の上で商売を始める、と新聞トップ見出しで紹介された。今更トップにするほどのことでもないと思うが。
簡単に云えば、すでに楽天、ヤフーがやっていた商圏に殴り込みをかけるという単純な構図である。アマゾン参入によって物品ネット取引が激化する、ということでIT産業にとっては活性化のために是非必要な競争である。中抜きネットと称されるくらいで介入業者不在のため単価が安く設定されるメリットがある。
私がいま個人で進めている仮想商店街はグーグルが提供するアドワーズであり、アドセンス広告に載せて小規模でもネット取引が可能なコンセプトとして注目した。アマゾンの展開する商売は数千億単位の商いを目的として現経済圏に流通する商品販売をターゲットとしているのは間違いない。私が提案しているのは、その正反対で「必要なものはすべてある生活」の中に、なにを求めるか、そこにナニを提供できるか、と云うテーゼである。もともと私はモノを販売する商人ではない。一介の会社員であり月々の安いサラリーで慎ましく暮らす人間だ。たまたまグーグルのアドワーズを知り、そのポリシーに賛同して乾坤一擲、というか個人の意思を反映して既存経済圏に物申す、という意味で思いついた。
その一方で問屋制度を核とした商取引に依存していた商人は死活問題である。遅かれ早かれ問屋は死滅する運命にあり、「ダイエー」がそのことを証明している。
私の住む人口1万人弱の街で、この7月15日に雑貨大型店がオープンした。ダイエー駅前戦略とは異なり、タンボ田園風景の中に忽然と現れた。それで休日ともなれば人口の半分が集まったのではないかと思われる程の盛況である。都会のデパート縮小版といった内容でお客のニーズ総てを満足させるという品揃えで無いものがない。私の住む近在の隣M市には飽和状態の大型店が乱立している。これは日本全国に展開している単なる一風景である。
当然のように旧来商店街は閑古鳥、シャッター通りが荒涼と広がる。そんな日本の現状経済界の中でアマゾンが開店するという。もはや閑古鳥の命はゼロに等しい。
そうした中で、私のマチでは古来より続く祭が9月13日に1200年祭として行われる。写真は、それに使われるロゴとも云うべき「手拭」のイメージで私がデザインした。祭りの形態とは地元の商店主がスポンサーとなって祭りに掛かる費用を負担して成立していた。それ以前では国、さらに遡って国領主の大名が費用一切を賄っていた。明治維新でその全部がご破算となり、地元の商い人が負担していたが、肝心の地元商店主が瀕死状態で祭を運営する費用賄いが不在となっている。かかる経費充当主がいなければ「祭り」は死滅する。メディアでは断片的に日本の祭を報道しているが、いずれ早いうちに日本から祭は足元から消えてなくなるだろう。

2006-07-23

 Posted by Picasa

産業革命以来の時代遅れ…

14世紀から16世紀に起こったイタリアルネサンス、そして近代の幕開け産業革命から今日のインターネット時代情報革命まで数百年経ったが、その間、総てを記録するというアナログ行為は現在でも引き継がれている。パソコンのキーボードが文字を打ち込んだとしても、手書き文字が消失したわけではない。むしろ、パソコンを使ってワザワザ手書き風文字を作り、それが異彩を放つ、というほど今は活字体に覆い尽くされている。古代メソポタミアの楔文字は食料生産リスト、またそれら取引を記録した文字であり、今の簿記の役目を果たしていた。だから人間は約3000年の間に渡って記録し続けていたことになる。パピルスの発明は記録改ざん防止のために考えられた、という説もあり古来より記録証拠を都合によって改ざんしたようだ。最近日本でも先端IT企業が帳簿改ざんで罪を負った。よく数字のマジックと表現するが実態と数字は別物で、厳密に現金勘定してみれば合わないはずのバランスシートは、何故か一円の狂いも無くピタリと合っている。決算報告書を読んで作った方も、見せられたほうも、それで納得してしまうから数字とは恐ろしい。たとえそれが1億円だろうが10億円だろうが金額が多くなるほど実態と合わないことは誰でも知っているが、パソコンで綺麗に清書された決算報告にケチをつけるものはいない。たとえそれが株主総会であっても動議発言するのは数字合わせではなく、幹部グレーゾーンの道義的問題を追及するのが一般的だ。
スーパーコンピュータの計算速度が驚異的スピードでアップしている時代に、肝心の統計数字が当てにならない、という現実問題がアメリカで浮上している。そう指摘しているのが社会学未来学者のアルビン・トフラーだった。「知識は瞬時に世界中に配信できる」とはインターネットのことを云っているようだが、そのビジュアルに捉えることの出来ない生産物を測定また換算することがきわめて難しいと指摘する。直接表現すればマイクロソフトのWindowsでありGoogleの検索エンジンである。それに関する定義や、合意もなされていないと氏は苦慮する。帳簿を記録するという古典的手法はメソポタミア時代より行われているが、知識知恵を帳簿上に数字として書き込むことが出来ないという未知の時代がやってきたと、トフラー氏は杞憂してゆっくり安眠できないでいる。

2006-07-22

30年前の世相比較

Posted by Picasa photo:Desert

昭和51年(1976)2月4日、アメリカ上院で「ロッキード事件」が暴露された。
アメリカで騒いでるから、こちらも動くか、当時そんな空気が漂っていた。月刊誌文芸春秋で田中金脈を追ったドキュメントを書いていたのが作家立花隆氏である。それが現役首相逮捕に追い込んだ一要因でもあったようだ。

米ロッキード社が全日空機種選定に便宜をはかり日本の商社が仲介役で、その事件は起きた。その当時のニュースとしては、その深層まで図り知ることはなかったが、それから30年経過して、英国政府の機密文書より世界を舞台にしたカラクリが判明した。ロッキードのトライスターはロールスロイス社のジェットエンジンを搭載していた、それが理由だ。
1972年9月、当時の英国首相ヒースと田中との首脳会談で、ヒースよりトライスター売り込みセールスを直接受けた、ことが機密文書で明らかになった。
その際、成立すれば日本は英国米国二人の友人に手助けできる、と念をおされたという。また、その年代の日本国内問題として日英間の貿易不均衡が懸念され、工業製品・化学繊維対英輸出が急増し1970年を境に翌年1971年には英国対日貿易収支がマイナスに転じた年で、その後1972年の首脳会談である。その庇護すべきロールスロイス社は1971年2月に経営破たんした。
ロッキード社の強引セールスは世界中の主要人物に及び、オランダ、西ドイツ、イタリア、コロンビアなど10カ国を巻き込んで一大スキャンダルへと発展した。(7月20日付 読売新聞記事抜粋)
ときが経過して30年後のいまグローバルなインターネット時代。マイクロソフト社に追加制裁を突きつけたのは欧州連合EUである。市場で独占的な地位を持つ企業の独禁法違反に対し厳格に対応する姿勢を貫いたものだ。欧州の消費者や企業に不利益が生じる点で容認できない、というのがその理由である。(7月13日付 読売新聞記事抜粋)

2006-07-20

リアルな現実社会

Posted by Picasa
今朝、新聞を手にとってみるとトップに昔の事件を
扱った記事が載っていた。(読売)  
ロッキード事件30年とあり、当時の若き日の首相が写真掲載されていた。30年前日本中の目が注がれていたロッキード事件は、現役首相逮捕という結末に誰もが青天の霹靂と思ったに違いない。それまで政治の核心部分に法の手は延びない、という一種退廃的な世相観が蔓延していたからである。
今年、経済界を揺るがす事件がいくつも発生し逮捕者も出している。その事件に政治家は関与していない。30年前のソレとは違って隔世の観がある。記事内容も同様のコメントを出していた。
ロ事件は今では完全に風化し、リアルに、そのことすら知らない世代がItベンチャーの社長に納まる時代である。高度成長経済を掲げた昔の日本が懐かしくもあり、誰もが一生懸命に働いた時代として今の日本が成り立っている。
その30年前の事件を扱った今の新聞の狙いは何か。インターネットを語るとき必ずといっていいほど既存メディア新聞・テレビの在り方が問われる。とくにグーグルの展開するニュース配信が既存メディアとせめぎ合い、それが世界中で議論されている。ニュース内容本体は今も昔も変わらないが、それを誰が、どんな形で社会に提供するかという方法論がいま問われている。このブログでも書いたが、新聞社の作った記事に著作権があるとしてITベンチャーが裁判で敗訴し既存メディア健在という立場をアピールした。それからさほど時間も経過していない今日、明らかな変化が生じていることを肌で感じた。冒頭の当該新聞社がグーグルのアドセンス広告、それも私のこのサイトに載っていた。ネットにニュースを配信することを是としない姿勢から一転、積極策に転じた。そして、いま手にしているアナログ紙面の新聞の「ローキード事件30年」は3ベージ分割で事件の詳細を報道している。その内容はネット上では読みきれない、新聞ならではのレイアウトである。それはインターネットのニュース配信とは明らかに異なる。記事の読み易さ、また世間がナニを知りたいか、そのことを熟慮すれば自ずと新聞紙面は変化するのである。

2006-07-19

パソコンは男かオンナか

Posted by Picasa photo:アンドン

一日の仕事から解放され帰宅すると日課のパソコンに席を構える。
遅れて帰ってきた妻は夕食の支度を整えテレビのニュースを見ながら夕食をしていると妻が云う。「パソコンと結婚すればー」と。
ではパソコンは男であるか女であるか。
ソクラテスの哲学に遠く及ばないが、これは重要な問題である。時として女であるし場合によっては男でもある。他愛もない戯言もまた人生にとって必要である。
私のパソコンが不調のまま2ヶ月を経過した。その間、手をこまねいていたという事ではないが関係筋のサポートも空しく時が経過した。事の始まりは前日記で説明してある通りexplorer新バージョン7のインストールからである。
使用しているこのパソコンメーカー「N」社のサポートを再三受けたが、解決に至らなかった。そもそもマイクロソフトのバージョンソフト入力によって引き起こされたトラブルは全責任を自己で賄う、というのが主旨であって所在を転化できないことは充分承知している。が、プロバイダー、また主要ポータルから送られてくる更新バージョンをインストールするのはユーザーとして極当然の行為と思うが、その結果についてはサポートしません、という姿勢はフェアーでない、と感じるのは間違っているのか。同様の処置がマイクロソフトから通達され期限付き旧バージョンサポート打ち切りが案内されユーザーの混乱が起き社会問題となっている。
私個人の問題としては、不調な今のパソコンをなんとか回復したいと「N」社に何回と無く電話サポートしたが、有効な解決策を見出せないまま今に至っている。それで感じたのは、問題動機がマイクロソフトであり、当方にとっては関与するケースではない、という感じが読み取れた。もちろんそれは当然の意思表示だが、被害を被っているユーザーとしてそれは随分醒めた対応だな、とおもわざえるを得ない。サイト提供社はサービス業である以上ユーザーの要求に応える必要がある。
インターネットを操り、そこから利益を得ているポータルとネットメディア、そしてプロバイダー各社は一方的にコンテンツを提供して、その結果の善し悪しについては自己責任の範囲で責任を負う、という逃げ口上をしているのであれば、旧来のメディア世界と何ら変わりない。お互いが同等の発信手段を持ちながら、「少数意見は取るに足らぬ」ではインターネット特有の相互コンタクトの利便を共有している、という独自性がまったくみられない。
よりよき明日のインターネットを開発するという表題を掲げるのであれば、関係各ネットサイトは肝に銘じて対応を検討すべし、である。
 Posted by Picasa

2006-07-17

村上隆・語録に触発され

Posted by Picasa photo:shovel

前項ブログで紹介した村上隆の、「作品の価値とは実体のない虚構から生まれるものなのです」、は私にとって頂門の一針だった。
それはなぜか、真実だからである。激戦区アメリカアートシーンで認められた人間の言葉ゆえ、あらゆる仮面装飾を取り払った後の言葉である。

5年間の成長率40万%という桁違いの恐竜スーパーサウルス並みのベンチャー企業「Google」と、それは重なった。
グーグルは博士号候補による論文アルゴリズムを携えて発足したアメリカの若手ベンチャー企業である(アルゴリズムプログラムシステムのデジタル構成だが端末に現れた裾野ではアナログ的コンテンツを売るデジタル企業)。その点を多方面から比較してインターネットデジタル社会とは、どう云うことを意味するのか。
旧来の権威・プロフェッショナルという恐竜の頭部分に相当する寡占的支配の常識的概念、というより人間世界で約2000年間に培われた自然科学的意識から簡単に脱却できない実像世界観との葛藤ジレンマが表出している、とでも表現すべきか。そしてインターネットにおける不特定多数を狙った玉石混交の中の石の部分、その、にわかに宝になり得るというデジタルコンテンツをネットを介して分け与えたことによって新たに注目され始めた。その方法論がいまだに確立していない状況でサイトコンテンツ提供者ポータル他、ネットメディア提供者は自身の内部においてはデジタルテクノロジーを駆使してサービスを提供するが、出された媒体は人間感覚に訴えるアナログ世界である。
ネット世界が革命を起こす、とはそのメディア提供者が声を高らかに叫ぶことではなく、ロングテールの玉石混交「石」であるセクションが宝になった時であり、圧倒的多数が怒涛の如く世界を覆いつくしたときに始めて革命的といえるのではないか。そして、私とアナタはデジタルテクノロジーの道具である楽器演奏、イラスト、映像等を使って個性感情を表現する。その内容がどうであれ、良い悪いと判断するのは権威でもなくプロでもなくサイト提供者でもなく私とアナタである。
そんなことを村上隆語録「実態の無い虚構である」と私に教えてくれたのである。
プロの歌手が一人で年間1億円稼ぐ金を、1000万人の素人歌手が一人10円稼ぐこと、それがネット世界である。当然その10円で生活は出来ない。生活費は従来の企業で働いて稼ぎ出し余暇を使ってパソコン発信する。それがきわめて現実的であるし不特定多数億単位を取り込むことを前提としたネット社会では単純な計算式である。その1000万人の磨けば宝になるであろう私やアナタにサイト提供者は何が出来るか。広告収入が企業生命の母体であるなら、それを支えているのが私とアナタたちである。その個人に「サァ、宝になって下さい」とステージを用意しデジタルソースを提供して1000万色のカラーを創出することが出来るのがサイト提供者である。個人の表現力を引き出させる優れたソフトを提供することによって、そのサイトのユーザー獲得にも繋がるであろうし又、広告挿入によって購買力アップも期待できる。なにしろネット社会は数の論理であり、もっとも得意とするジャンルなのである。
確率ゼロに近い1億円宝くじと、確率50%の10000円宝くじの、どちらを選ぶか、それは主要サイト提供者も「私とアナタ」もまったく同じ線上に立っている。

2006-07-16

芸術を起業する とはナニか

Posted by Picasa photo:神楽面 龍神

日本の現代アート旗手である村上隆の破天荒な表現は日本のみならず、いまや世界が注目している、といった方が適切か。
その本人は、絵の表現に限定することなく多方面で才能を発揮する。
数年前、NHKで彼の製作現場を取材した番組が放映された。アートシーンというより、彼のもとに集まる若手アート志願者の修行道場といった内容である。超一流アーティスト村上隆が、アート修行若者に向ける辛辣な言葉に耐えられず挫折する様子が描かれていた。一流プロを志すものの基本を教えているが、それが伝わらないイライラをよく表現していた。彼はすべてにおいて饒舌である。それを語るように自身による本を出版した。「芸術起業論」(村上隆著 幻冬舎)というタイトルからして特異であり、えっ、そんなのアリ…、と思わせた。作品がオークション1億円で落札、で判るように彼のアートは、かつてのアメリカ現代アート旗手アンディー・ウォフォールと類似するように思う。「これが絵です」という既成概念を外れ、人々をアッと驚かせる。マンガに描かれたキャラクターを立体フィギュアにして日本の誇るマンガを世界にアピールした。彼の舞台はほとんどアメリカだが、「会社の成績が悪かろうがよかろうが株価さえあがればいいという投資家の本音のように、作品の価値とは実体の無い虚構から生まれるものなのです」、と語るように世界で最もシビアな経済社会の真実を正面から見据えた視点は、単なる一アーティストでなく「ナニがヒトを満足させるか」という核心部分を鋭く洞察している。それはピカソの商才
を踏襲しているのだろうか。
日本を代表する絵師の一人に長谷川等伯(1539-1610)がいる。高野山の有名な「武田信玄像」の作は、その等伯であが、その見解に異論説が浮上している。同様に「源頼朝像」も描かれた人物は「高師直・こうのもろなお」という説があり従来の定説を疑問視する見解がいたるところに浮上している。その研究は専門筋に任せるとして、日本の歴史上の絵画、また古典音楽など西洋文化と比較して、それらが同等に語られることはなかった。東洋のアートが西側に影響を与えていた事実は認められるが、今の日本で古典芸術を正当評価する日本人がいない、ということが最大の問題である。自国の文化を誇りを持って世界にアピールすることが出来ない「日本人」を自覚する必要がある。
村上隆の表現そのものはトリッキーではあるものの、現代日本の持つリアルな世相を鋭敏にキャッチして自らのアートに反映させている。その点で彼は優れた時代の表現者であるし、自らの足元と視点をわきまえたアーティストと断定することが出来る。でなければ世界に通用しない。
付け加えるなら、彼の培った表現素地は日本古典絵画である。